ESG研究所【水口教授のESG通信】虫がいなくなる - 新たなESG課題の可能性
2017年11月24日
2017年10月、ドイツの研究者グループが重要な研究成果を公表した。過去27年間で、空中を飛翔している昆虫の総量が75%以上減少したというのである。これまでも蝶や蜂など、特定の種類の昆虫の減少は何度も報告されてきた。だが、環境の変化に弱い一部の種だけでなく、昆虫が全体として減少しているという調査結果は、この問題の深刻さを改めて示したと言えるだろう。今後、新たなESG課題となる可能性のある「虫問題」について考えてみたい。
1.蜂は大丈夫か
昆虫の減少と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。最近、カブトムシを見なくなったなあと思ったり、夏の蚊や家のゴキブリも減ってくれないかなあと思ったり。虫との関わりはさまざまだが、この分野に関心のある人なら、まず蜜蜂の減少を思い浮かべるのではないか。
2006年の秋から2007年にかけてアメリカで大量の蜜蜂が巣からいなくなるという現象が起き、注目された。これを蜂群崩壊症候群(Colony Collapse Disorder: CCD)と呼ぶ。
誰かが野性の蜜蜂を調べた結果、という意味ではない。蜜蜂を飼育して授粉期に農家に貸し出す養蜂家の巣箱でのことである。幼虫と女王蜂を巣に残したまま働き蜂がいなくなったという。その結果、群れを維持することができなくなるので「蜂群崩壊」なのである。巣の周囲に死んだ蜂がほとんど見られないことから、働き蜂が「失踪した」と表現されることもある。失踪というと、まるで仕事に嫌気がさして家出をしたかのようだが、現実はもちろんそうではなく、働き蜂の方向感覚や学習能力に何らかの障害が起き、巣に戻れなくなったということのようである。
原因には諸説あり、特定されていない。温暖化による植物の開花時期の変化が影響しているとの説や、ダニが媒介する病原菌が原因だとする説、遺伝子組み換え作物の影響を指摘する説などがある。中でも有力なのは、ネオニコチノイド系の農薬と因果関係があるとする説である。これについては欧米を中心に多くの研究が重ねられ、2013年にはEUがネオニコチノイド系の農薬の一部使用禁止に踏み切った。
一方、日本では水稲のカメムシ対策としてネオニコチノイド系農薬が広く使われている。日本の蜂は大丈夫だろうか。
農林水産省は2013年から2015年にかけて農薬が原因と疑われる蜜蜂数の減少や大量死の被害調査を行い、2016年7月に『蜜蜂被害事例調査(平成25年度~27年度)の結果及び今後の取組について』を公表した。それによると、日本では働き蜂の大量失踪によって群れが維持できなくなるという意味での蜂群崩壊症候群は見られなかった。一方で、蜜蜂の大量死の被害事例は毎年50件から80件程度あったという。調査期間中に飼育されていた蜂群の数(箱数)は平均21万個、夏には繁殖により42万個まで増えることから、被害件数は1%に満たない。また1巣箱当たりの死んだ蜂の数は1000~2000匹以下の事例が多く、1つの巣箱には数万匹の蜜蜂がいることから、比較的小規模な事例が多い、というのが同省の見解であった。
被害の原因については、被害のあった巣箱の77~90%が水田周辺に置かれており、被害時期も80~85%がカメムシ防除の時期に一致していることから、カメムシ防除に使用された殺虫剤に直接暴露したためである可能性が高いとしている。カメムシ防除の殺虫剤の6割以上はネオニコチノイド系の農薬である。そこで同報告書は、次のような対策を推奨している。
・養蜂家は巣箱の設置場所を農家に伝え、農家は農薬を散布する場合に周辺の養蜂家に伝えるなどの情報共有を進める。
・水田に囲まれた場所での巣箱の設置を避け、農薬使用の連絡があれば巣箱を退避させる。
・蜜蜂の活動が盛んな時期の農薬散布を避ける、など。
つまり、ネオニコチノイド系農薬の蜜蜂への影響は認めつつも、農家と養蜂家の情報共有を進め、直接暴露を避ければ、共存できるというのが、農林水産省の立場である。
これに対してネオニコチノイド系農薬の使用禁止を訴えてきた国際環境NGOのグリーンピースは、授粉によって生み出される経済価値のうち、養蜂業によるものは3割程度で、7割は野生の蜂などの生物によるものであると指摘している。そして、養蜂で一般に飼育されるセイヨウミツバチに比べ、日本の固有種であるニホンミツバチは10倍前後農薬に弱いとの研究報告を引用し、野生の蜜蜂に対する注意を喚起している。養蜂家は巣箱を退避させることができるが、野生の蜜蜂はそうはいかないというのである[1]。今回ドイツで公表された研究報告は、このような議論に一石を投じることになった。
2.過去27年間で76%の減少
ドイツのキャスパー・ホールマン(Caspar A. Hallmann)らは、2017年10月に「27年間で保護地域における飛翔昆虫の総量の75%以上の減少」と題した論文を公表し、注目を集めた。彼らはドイツの自然保護地域63か所で1989年から2016年の間、飛んでいる昆虫を採取してその変化を調べたのである。採取にあたっては標準化された捕獲装置(わな)を設置し、毎年同じ方法と手続きを用い、3月から10月までの年間を通して行った。そして捕獲された昆虫の総量(Biomass)を測り、その減少率を計測したのである。
その結果、4月1日から10月30日までの平均では27年間で76.7%、夏季に限ると平均で81.6%、飛翔する昆虫の総量が減少していた。捕獲装置を設置したのは自然保護地域だが、その中では栄養の豊富な草地から栄養の少ない砂地や荒れ地まで多様な場所が選ばれた。草地か砂地かといった違いによって昆虫の量には違いが見られたが、減少のパターンや減少率は、地点の違いに関わらず、似通っていたという。つまり昆虫の大幅な減少は、特定の採取地点での特殊な出来事ではなく、一般的な傾向と考えられる。
同論文によれば、これまでも蝶や蜂、蛾などの減少についての研究は多かったが、個々の種の減少が昆虫全体の動向を反映しているかどうかはわからなかった。今回の調査結果は、蝶や蜂だけでなく、昆虫が全体として減少していることを明らかにした点で重要である。昆虫は授粉を担い、食物連鎖の中で鳥や哺乳類の食料源になるなど、生態系を維持する上で中心的な役割を果たしているからである。たとえば野生の植物の80%は授粉を昆虫に依存しており、鳥類の60%は昆虫を餌にしていると指摘している。
では、なぜ昆虫は減少したのだろうか。論文ではいくつかの可能性を検証している。まず、気候変動が昆虫の減少の原因として疑われた。そこで、捕獲装置から100Km以内に位置する測候所のデータから、日々の平均気温、降水量、風速のデータを得て分析に加えた。しかしこれらは昆虫の減少の説明要因とはならなかった。たとえば、季節や地域で見れば昆虫の量は気温と正の相関が見られたが、平均気温は調査期間中に0.5℃上昇した。つまり、この点では昆虫量は増えるはずだったわけである。また、捕獲装置の周囲50mの植生を調査し、生息環境のデータを得た。さらに航空写真を用いて、捕獲装置の半径200mの土地利用をデータ化した。しかしそれらの変化も、昆虫量の変化を説明する要因にはならなかったという。
論文は最後の「討論」の章で、次のように記している。「生息環境や土地の形状を問わず、季節を通した昆虫の総量の減少は、何か大規模な要因が関わっていることを示唆している。(中略)農業の集約化(たとえば農薬の使用、輪作、化学肥料の使用拡大など)は、今回の分析には含められなかったが、あり得る原因かもしれない。捕獲装置を置いた保護地域は、西ヨーロッパに典型的な、分断され、限られた面積であり、そのほとんど(94%)は農地に囲まれている。したがって考え得る説明の一つは、保護地域がより広い周辺の農地によって影響されたというものである。農業集約化の進展は、保護地域における過去数十年の昆虫の減少を加速してきたのかもしれない。どのような要因が関わっているにしろ、それらは昆虫の総量に対して、かつて理解されていたよりもはるかに壊滅的な影響をもたらしている」
この結論はヨーロッパでは一定のインパクトがあったと言ってよいだろう。たとえばイギリス政府は、2013年に欧州委員会(European Commission)がネオニコチノイド系農薬の一部禁止を提案した際には反対の立場を取っていたが、この論文の公表を受けて、全面禁止の支持へと立場を変えたことが伝えられた[2]。
日本ではまだ昆虫の減少を大きなESG課題と考える人は少ないかもしれない。だが、欧米で注目を集める課題は、日本でも早晩問題となる可能性が高い。化学品企業はもちろん、何らかの形で「食」に関わる企業や機関投資家も、この問題とどう向き合うのか、自らのスタンスを考えておく必要があるのではないだろうか。
関連コラム
- [1] グリーンピース「ニホンミツバチたち、気をつけて!~農薬の有害性に新事実」2017年4月8日(2017年11月24日情報取得)
- [2] The Guardian「UK will back total ban on bee-harming pesticides, Michael Gove reveals」2017年11月9日(2017年11月24日情報取得)
QUICK ESG研究所 特別研究員 水口 剛