ESG研究所【水口教授のESG通信】生態系を支える虫たち - ESG投資はどう応えるのか

ジェンガというゲームをご存知だろうか。高く積み上げた積木を、プレイヤーが交互に1本ずつ抜いていく。まだ大丈夫。まだ大丈夫・・・徐々にすかすかになった積木の塔は、ある1本を抜いた途端に崩れ落ちる。最後の1本を抜いた者が負けである。生態系もこれに似ているのではないか。生態系の中で複雑な相互依存関係にある昆虫種が1つ、また1つと絶滅していく。まだ大丈夫・・・そう思っているうちに、限界に近づき、ある時、最後のある一種が絶滅した瞬間、生態系全体がガラガラっと・・・これは、昆虫の減少を包括的に調査した論文の公表を報じる、イギリスのあるニュース番組の中で専門家が語った、おそらく直感的な、懸念である。そこを越えると引き返せないティッピングポイントのようなものが生態系にあるのかどうかわからないが、虫の減少は、普通に思われている以上に深刻なESG課題かもしれない。専門家の声に耳を傾けてみよう。

 

1.IPBESの警鐘

2019年4月末から5月にかけて、生物多様性を巡る文書が相次いで公表された。IPBESが評価報告書を公表し、OECDがG7に向けた提言を行い、G7環境大臣会合が生物多様性憲章を採択した。2020年には北京で生物多様性条約の第15回締約国会議(COP15)が開かれ、2020年以降の国際枠組みが検討されることになっている。それに向けた動きが加速しつつあるのだろう。

気候変動の分野でIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の名前はかなり有名になった。だが、その生物多様性版があることは、まだあまり知られていないのではないか。それがIPBESである。Intergovernmental science-policy Platform on Biodiversity and Ecosystem Servicesの略で、日本語では「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム」という。国連環境計画(UNEP)、ユネスコ(国連教育科学文化機関、UNESCO)、国連食糧農業機関(FAO)、国連開発計画(UNDP)という4つの国連組織の支援で2012年に設立された科学者のネットワーク組織で、UNEPが事務局を務める。

このIPBESが、2019年4月29日からパリで開かれた全体会議で「生物多様性及び生態系サービスに関するグローバル評価報告書」の政策決定者向け要約を採択した。この評価報告書は3年をかけて世界50か国の145人の専門家が、他の310人の専門家の協力を得て、執筆したもので、過去50年にわたる生物多様性の変化を評価し、今後数十年の間に起こり得るシナリオを示した。

それによると、人類史上、前例のない速度で生態系が劣化しており、経済や生活、食糧安全保障などの基盤が崩れつつあるという。具体的には、両生類の40%以上、サンゴ類の約33%、海生哺乳類の3分の1以上が危機的な状況にあり、動植物種全体で100万種が絶滅の危機に瀕している。その直接的な原因は、①土地利用及び海の利用の変化、②天然資源の過剰な利用、③気候変動、④汚染、⑤特定外来生物の5つである。このままでは、生物多様性に関して2010年のCOP10で合意した愛知目標のほとんどは、2020年の期限までに達成不可能だとも指摘している。現在の生物多様性の減少と生態系の劣化は、貧困、飢餓、健康、安全な水、気候変動等のSDGsの障害にもなるという。

IPBES議長のロバート・ワトソン(Robert Watson)によれば、「革新的な変化(transformative change)」があれば、自然を保護し、回復し、持続可能に利用することはまだ可能だ、という。ただし「革新的な変化」とは、「パラダイム、目標、価値観を含む技術的、経済的、社会的要素の根本的でシステム全体にわたる変化」だと述べている(注1)。それほどの変化がなければ、生物多様性と生態系は守れないというのである。

 

2.OECDの提言とG7生物多様性憲章

IPBESの評価報告書の公表と前後して、2019年5月はじめに、OECD事務局が「生物多様性:金融、及び行動のための経済・ビジネスケース」と題した報告書を公表した。2019年5月5日、6日にフランスで開かれたG7(Group of Seven、先進7カ国)環境大臣会合に向けた提言である。報告書は次のように述べている。

生物多様性の喪失は最大のグローバルリスクの1つであり、地球は6度目の大量絶滅に直面している(注2)。作物の受粉、水の浄化、洪水の防止、二酸化炭素の吸収など、生物多様性がもたらす生態系サービスは人類の福祉にとって決定的に重要であり、その価値は年間125-140兆ドル、すなわち世界全体のGDPの1.5倍以上と見積もられる(注3)。行動しないことのコストは大きく、たとえば土地利用の変更によって1997年から2011年まで毎年4-20億ドルの生態系サービスが失われたと推計される。生物多様性の喪失を食い止め、逆転させるための取組みを飛躍的かつ緊急に拡大する必要がある。

また、報告書はこうも指摘している。ビジネスが生物多様性に依存し、他方でそれに影響を与えていることは、企業と金融にとってのリスクとなる。たとえば生態系リスク、負債リスク、規制リスク、評判リスク、市場リスクなどが考えられる。生物多様性への依存と影響を認識し、測定することは、企業と金融が生物多様性関連リスクを管理し、防止するのに役立ち、新たな事業機会をつかむことにもつながる。

そして、G7の環境大臣会合が生物多様性に注目することはタイムリーであり、歓迎できるとして、優先的に取り組むべき10項目を示している。たとえば2020年以降のグローバルフレームワークの中で測定可能で野心的な目標を追求すること、企業と金融が生物多様性に関する貢献とコミットメントを共有するよう促すことなどをあげている。

これらを受けてG7環境大臣会合は、2019年5月6日、開催地メッス(Metz)の名前をとった「生物多様性に関するメッス憲章」を採択した。表1に示すように、生物多様性保護の取組みを強化し、多様なステークホルダーとのエンゲージメントを推進し、2020年以降の野心的なフレームワークの策定を支援していくことを表明した。今後、2020年のCOP15に向けて、生物多様性への注目はさらに高まっていくと思われる。

 

3.昆虫減少がもたらす危機

ここまで、生物多様性全般に関わる最近の動きを見てきた。生物多様性の問題には、違法伐採やパーム・畜産等による森林の減少、過剰漁獲、海水温上昇によるサンゴの死滅など、さまざまな論点があるが、重要性の点でそれらに匹敵するのが、昆虫の減少である。

IPBESは今回の報告書に先立って、2016年に「花粉媒介者、花粉媒介及び食料生産に関する評価報告書-政策決定者向け要約」を公表し、「経済的および社会的に重要な花粉媒介者が、気候変動を含む人間活動の脅威にさらされており、野生花粉媒介者の個体数および多様性の減少が確認されている」と結論づけた。

花粉媒介者には鳥やコウモリも含まれるが、ほとんどはハナバチ、ハエ、チョウ、ガ、甲虫などの昆虫である。同報告書によれば「地球上で約90%の野生の顕花植物種は、多少なりとも動物による花粉媒介に依存している。これらの植物は、様々な生物種に食餌を供給し、生息地を形成し、その他資源を提供することから、生態系が継続的に機能していく上で欠かせない存在」であるという。昆虫の危機は、生態系全体の危機なのである。

では、昆虫はどれほど減っているのだろうか。

昆虫の減少に関して、「バイオロジカル・コンサベーション」誌の232号(2019年4月)に、「昆虫相の世界的減少:その要因のレビュー」と題した新たな論文が掲載された。著者はシドニー大学のフランシスコ・サンチェス・バヨ(Francisco Sanchez-Bayo)とクイーンズランド大学等に所属するクリス・ウィクホイス(Kris A.G. Wyckhuys)の2人で、昆虫の減少に関するこれまでの研究の総括を試みたものである。具体的には、過去40年間に公表された学術論文を「昆虫」「減少」「サーベイ」というキーワードで検索し、ヒットした653の論文から、種(species)レベルでなく、分類群(taxa)レベルで、10年以上にわたる変化を定量的に調査した73本の論文を選んでレビューしている。

レビューした論文の多くは特定の分類群を対象にしている。たとえばベルギーのフランダース地方における蝶を調査した2001年の論文は、1834年以降、64種中19種が絶滅し、69%にあたる44種が減少していることを明らかにした。オランダでは1992年から2007年の間に20種の蝶のうち11種が分布と生息数の両面で減少したとの報告があった。このような個々の研究成果をまとめると、生息数が減少している昆虫種の割合は、脊椎動物の2倍の41%であると推計している。また、約3分の1の種が絶滅に瀕しているという。

フランシスコらは、このコラムでも以前に紹介した、飛翔昆虫の総量(biomass)を測定したドイツの研究にも言及している(注4)。その論文は,飛翔昆虫の総量が27年間で76%減少したことを示したが、これは年率に直すと2.8%にすぎないと指摘している。もし測定が短期間しか行われなければ、検出不能か、統計的に重要でないと考えられかねないというのである。プエルトリコの熱帯雨林を調査した2018年の研究でも、地面を這う節足動物と樹上に住む節足動物の総量が36年間で98%及び78%減少したと結論したが、これも年率にすると2.7%と2.2%である。つまり減少傾向が続けば、長期的には大きなインパクトがあるが、短期的には気づきにくいのである。

他にも著者らが懸念を示していることがある。その1つは、減少している昆虫が、特定の環境に特化した「スペシャリスト」の種だけでなく、多様な環境に適応した「ゼネラリスト」の種にも及んでいることである。このことは、減少の原因が、特定の種に関わる特殊な要因ではなく、多くの昆虫に共通する要因であることを示唆している。それは何だろうか。

フランシスコらによれば、レビューした論文の49.7%が生息地の変化を主要な原因として指摘し、25.8%が汚染を、17.6%が生物的要因をあげているという。気候変動をあげた論文は6.9%であった。このうち生息地の変化とは、都市化や工業化、農業によって自然の生息地が転換されることを指し、特に農地の拡大と農業の集約化が大きな原因としてあげられている。一方、主要な汚染源は、殺虫剤や殺菌剤、除草剤などの農薬と化学肥料である。除草剤は農地周辺の植物の多様性を削減することで、間接的に昆虫にも影響を与える。生物的要因とは寄生生物や病原菌、外来種の侵入などを意味する。

「農薬の投入量のドラスティックな削減と農業の再設計を伴う生息地の回復が、さらなる減少を食い止めるためのおそらく最も効果的な方法だろう」と著者らは言う。「結論は明確だ。食料生産の方法を変えない限り、今後数十年の間に昆虫全体が絶滅への道を進むことになる。それが地球の生態系にもたらす反動は、控えめに言っても、壊滅的だ。昆虫は4億年前のデボン紀に登場して以来、多くの生態系の構造的、機能的な基礎だったのだから。」これが、70本以上の研究をレビューした専門家からのメッセージである。まさにESG投資の真価が問われると言ってよいだろう。

 

表1 生物多様性に関するメッス憲章の概要

生物多様性に関するメッス憲章

我々、G7環境大臣及び環境を担当する欧州委員会メンバーは、2019年5月6日の会合に参加したチリ、フィジー、ガボン、メキシコ、ニジェール、ノルウェーの環境大臣とともに、エジプト環境大臣の立ち会いの下、以下を決意する。

  1. 1.生物多様性を尊重し、守り、回復し、賢明に利用し、それによって生態系サービスを維持し、健康な地球を持続し、すべての人に利益をもたらすために、生物多様性の損失を食い止める我々の努力を加速し、強化する。
  2. 2.我々の努力を支持し、補完するために、関連するすべての組織、先住民族及び地域コミュニティ、地方政府、アカデミア、女性及び若者グループ、企業・金融・経済セクター、NGOを含むすべてのステークホルダーとのエンゲージメントを推進する。
  3. 3.2020年以降のグローバル生物多様性フレームワークの策定と実施を支援する。それは2050年のビジョンを達成するのに必要な革新的な変化をもたらすだけの野心的なレベルであるべきである。それは、愛知目標と戦略計画2011-2020の実施から得られた教訓を基礎とし、利用し得る最高の科学と知識に基づくべきである。それは、持続可能な開発のための2030アジェンダと整合しているべきである。

出所:Metz Charter on Biodiversityを基に筆者要約。

 

  • 1) IPBESのプレスリリースより。
  • 2) 三葉虫の大半が絶滅した約4億4400万年前のオルドビス紀末や、恐竜が絶滅した6500万年前の白亜紀末など、地球では過去5回の大量絶滅があったことが知られているが、最近の数世紀における多くの生物種の絶滅はそれらに匹敵し、6回目の大量絶滅がおきつつあると言われることがある。
  • 3) IMFの推計によると2018年の世界全体のGDP合計は84.7兆ドル。
  • 4) 「水口教授のESG通信:虫がいなくなる-新たなESG課題の可能性

関連資料
IPBES プレスリリース:Nature’s Dangerous Decline ‘Unprecedented’; Species Extinction Rates ‘Accelerating’(2019年5月29日閲覧)

関連コラム
QUICK ESG研究所「【水口教授のESG通信】虫がいなくなるー新たなESG課題の可能性」2017年11月24日(2019年5月29日閲覧)

QUICK ロンドン支店 荒木 朋