ESG研究所【水口教授のESG通信】持続可能な水産 - 資本市場からのアプローチ
2018年03月27日
イギリスに本拠を置くフィッシュ・トラッカー・イニシアティブが、2017年10月に最初の報告書を公表した。題して『エンプティ・ネッツ - 過剰漁獲リスクはいかに投資家を座礁させるのか』。エンプティ・ネッツとは「空っぽの網」、つまり海に網を入れても何も獲れなくなる時が近づいているという警鐘だろう。水産資源の保護に関しては、これまでも政府やNGOによるさまざまな取り組みがなされてきたが、フィッシュ・トラッカーはそこに投資家の視点を持ち込もうというのである。水産業を持続可能にするために投資家は何をすべきなのか、彼らの主張を聞いてみよう。
1.なぜ水産が問題なのか
ESG投資に関わる人なら、フィッシュ・トラッカーという名前はどこかで聞いたことがあると感じるのではないか。それもそのはず、これはあのカーボン・トラッカーの漁業版だからである。
カーボン・トラッカーは、2011年に『燃やせない炭素(Unburnable Carbon)』と題した報告書を公表して「座礁資産(stranded assets)」という概念を世に広めた。そのカーボン・トラッカーの母体となった非営利組織のインベスター・ウォッチが、2016年に新たに立ち上げたのがフィッシュ・トラッカー・イニシアティブである。カーボン・トラッカーは、2℃目標を前提にした場合の炭素制約(Carbon budget)という科学的知見を座礁資産という概念に翻訳することで投資家に示唆を与えた。同じように、フィッシュ・トラッカーは水産業における環境の限界(environmental limit)という科学的な事実がもつ投資家にとっての意味を明らかにすることを目指すという。
その背景には水産の現状に対する危機感がある。今回の報告書『エンプティ・ネッツ』では、国連食糧農業機関(Food and Agriculture Organization: FAO)が公表している統計を基に、世界の漁獲高が1996年をピークに減少していることを指摘している。水産業全体の生産量が増えているのは、養殖が増えたためである。
一定の魚種を対象に漁を行う一定のエリアを「漁場(fishery)」と呼ぶが、FAOによれば全体の31%の漁場は持続可能な最大漁獲量を維持できない過剰漁獲(overfished)の状態にあり、58%が将来の漁獲を犠牲にしなければこれ以上漁獲を増やせない状態、つまり過剰漁獲目前の完全漁獲(fully fished)の状態にあるという。魚は再生可能資源であるから、一定量を守って漁獲していれば、永続して利益を生み続ける。また、未成熟の幼魚を獲らずにおけば、より価値の高い成魚として還ってくる。しかし、水産資源に対する需要の拡大と競争の圧力が過剰漁獲を招いているという。特に、200海里の排他的経済水域の外にある漁場では政府の規制が及びにくいため、他の漁船が獲ってしまう前に、いち早く獲ってしまおうというインセンティブが働きやすい。その結果、水産資源の量が減少し、経済的価値も毀損されていくというのである。
2.政府・NGOは何をしているのか
それでは、水産資源の保護のために、今までどのような活動がなされてきたのだろうか。一口に水産資源と言っても、その範囲は広く、獲り方も多様である。特に日本では、沿岸から沖合、遠洋までさまざまな魚種を対象に多様な漁法で漁が行われている。これに対応して都道府県による漁業権の免許や政府による漁業許可など、さまざまな規制による資源管理がなされている。
具体的な資源管理の方法は、漁船の数や馬力等を制限することによって漁獲圧力を制限する「インプットコントロール(投入量規制)」、産卵期を禁漁にしたり、網目の大きさを規制したりすることで漁獲の効率を制限する「テクニカルコントロール(技術的規制)」、漁獲可能量(Total Allowable Catch: TAC)の設定などによって漁獲量そのものを制限する「アウトプットコントロール(産出量規制)」の三種類にわけられる。規制による資源管理はその組み合わせである。
たとえば、沿岸漁業については都道府県知事が漁場の区域、魚種、漁法等を特定して漁業協同組合等に免許を交付し、漁協が漁業者の資格や漁具・漁法の制限(技術的規制)をしたり、操業期間の制限(投入量規制)をしたりする。また、移動範囲が広い魚種を対象とし、一隻当たりの漁獲量も多い沖合・遠洋漁業に対しては、農林水産大臣や都道府県知事の許可制度によって漁船の数や総トン数を制限したり(投入量規制)、漁期・区域・漁法などを制限したり(技術的規制)している。なかでも漁獲量が多く管理の必要性の高いサンマ、マアジ、サバ類、マイワシ、スルメイカ、スケトウダラ、ズワイガニ、太平洋マグロについては、年間の漁獲量の上限を決めるTAC制度が導入されている。
さらにマグロ・カツオ類に関しては、「西部及び中部太平洋における高度回遊性魚類資源の保存及び管理に関する条約」に基づく「中西部太平洋まぐろ類委員会(Western and Central Pacific Fisheries Commission: WCPFC)」など、海域ごとに、国際条約に基づく地域漁業管理機関(Regional Fisheries Management Organization:RFMO)があり、各国の交渉によってさまざまな資源管理が試みられている。
一方、民間のNGOもさまざまな取り組みを行ってきた。たとえば1997年にロンドンで設立された海洋管理協議会(Marine Stewardship Council: MSC)は、持続可能な漁業のための原則と基準を策定し、MSC認証の仕組みを構築してきた。これは、MSCが認定した独立の第三者機関が漁業者に対してはMSC漁業認証を、流通業者に対しては加工・流通過程のトレーサビリティに関するCoC(Chain of Custody)認証を付与することで、MSCのマークの付いた商品を流通させる仕組みである。2010年には養殖業を対象にした水産養殖管理協議会(Aquaculture Stewardship Council: ASC)が設立され、ASC認証も開始された。
また、国際環境NGOのグリーンピースは2017年にツナ缶大手のタイ・ユニオンと、水産資源保護や人権保護に関する包括協定を結んだし、グリーンピースの日本事務所は毎年、サステナブル・シーフードに関するスーパーマーケットのランキングをしている。その調査で最も評価の高いイオンはMSC・ASC認証商品の積極的な販売やトレーサビリティの確立などを含んだ「持続可能な調達方針」とその2020年目標を公表している。
このように政府やNGO、企業も多様な取り組みをしている。だが、それにも関わらず、世界全体で見ると水産資源の持続可能性は危機に瀕している。それゆえフィッシュ・トラッカーは投資家へのアプローチを始めたのである。
3.投資家から見た「持続可能な水産」問題
フィッシュ・トラッカーは、まず水産に関わる上場企業を特定した。投資家が見過ごしてきた持続可能性リスクを明らかにするためである。対象となったのは漁獲、養殖、水産加工に関わる企業で、スーパーマーケットなどの小売業やレストランなどの外食産業は含まない。その結果、228社の上場企業がリストアップされた。この228社の時価総額の合計は、2017年6月時点で5180億ドルであった。また売上高の合計は、2015年度の時点で4730億ドルであり、そのうち水産業に関わる売上は706億ドルと推計されている。
水産関連の上場には、地域的な偏りがある。228社のリストを見ると、日本企業はマルハニチロ、日本水産などの水産企業に加え、総合商社各社など40社が挙げられており、国別では最も多い。国別の企業数は、ベトナムが25社、中国・香港が18社、韓国が12社と続く。また、水産関連の売上高で見ると、日本企業40社の合計は約327億ドルで全体の46%を占め、第1位である。売上高で日本に続くのは、ノルウェー、タイ、チリ、韓国であり、この上位5か国の売上高合計は約545億ドル、全体の77%となる。日本も含め、企業の数でも売上高でもアジアが多い。したがってアジアの投資家の役割が重要だと、報告書は指摘している。
もっとも、漁や養殖、水産加工の多くは各地の漁師や小規模企業によって担われており、水産業の上場企業のサプライチェーンには入ってこない。報告書が特定した上場企業228社の水産関連の生産量は、水産業全体の8%から23%の間であろうと推計されている。
投資家が水産業の持続可能性を適切に評価するためには情報が必要である。フィッシュ・トラッカーは、リストアップした228社が十分な情報を開示しているかどうかを調査した。開示が十分かどうかの判断基準は、水産に関わる売上高を開示しているか、漁獲している漁場と魚種を開示しているか、養殖業の場合には養殖地と魚種を開示しているか、などである。その結果、十分な開示がなされていた企業は228社中37社にとどまり、その売上高合計は126億ドル、全体の18%に過ぎなかった。漁場や魚種の開示がなければ、持続可能かどうかの判断ができないので、将来の収益見通しを正しく評価することもできない。結果として、投資家が企業価値を過大評価していたり、過小評価していたりする可能性があると指摘している。
また、MSCやASCなどの基準の利用、トレーサビリティの確保といった「持続可能な水産に関する方針(Sustainable Seafood Policy)」を明示している企業は228社中22社に過ぎなかった。しかも多くの場合、それらの方針はまだ完全に実施されているわけではないという。これらのことから、水産業は全体として、重要な持続可能性リスクを適切に管理しているという保証を投資家に提供していないというのである。
4.フィッシュ・トラッカーの提言
これらのことから水産業には、持続可能性のリスクがある。何も行動しなければ短期的には利益になるかもしれないが、過剰漁獲が続き、長期的には利益の源泉を失いかねない。そもそも現状では、投資家が持続可能性のリスクを正しく評価するための十分な情報が提供されていない。そこで報告書は、投資家向け情報開示のフレームワークを提案した。これは、2017年に公表されたTCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)の提案を参考にしたもので、表1に示すように①ガバナンス、②戦略、③リスク管理、④指標と目標の4項目で構成されている。
また報告書は、投資家、金融規制当局、水産関連企業、水産政策当局、市民組織への提言も示している。その内容は、表2に示す通り、①持続可能性方針の策定、②透明性の確保、③漁場と企業収入との関連づけという3項目に整理されている。
フィッシュ・トラッカー自身の今後の活動については、次のように記している。この報告書は、機関投資家と金融システムに関わるその他のステークホルダーが持続可能な水産に向けて協力するためのベースラインを提供しており、関係者とともに本報告書の提言を実現することが、今後の優先課題である。同時に、以下の5つの分野へと活動を拡大する。(1)違法漁業や報告・規制されていない漁業のデータを含む漁場の分析の強化、(2)上場企業が行う養殖業の分析の拡大、(3)水産に関わるバリューチェーン全体へと分析を拡大することによる、機関投資家によるエンゲージメントの可能性の拡大、(4)債券及び銀行融資などの株式以外での資金調達への注目、(5)情報の共通利用を促進するデータ・プロトコルの改善。
ここからは、水産に関わるバリューチェーン全体に視野を広げ、債券投資や融資へと対象を広げることで、金融を通じて「持続可能な水産」に貢献するという構想が読み取れる。水産に関しては、世界の中でも日本の存在感が大きいだけに、今後、日本の投資家・金融機関の姿勢が問われることになるのではないだろうか。
ガバナンス | 情報開示の中で以下の疑問に答えることで、企業は投資家に対して、上位の意思決定者が持続可能性を考慮していることを示すことができる。
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戦略 | 情報開示の中で以下の疑問に答えることで、企業は投資家に対して、持続可能性の要素が企業戦略に適切に組み込まれていることを示すことができる。
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リスク管理 | 以下の疑問に答えることで、企業は投資家に対して、リスク管理のプロセスが持続可能性を適切に考慮していることを示すことができる。
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指標と目標 | 適切な指標と目標を開示することを通して、企業は投資家に対して、持続可能性の管理が順調に進んでいることを示すことができる。特に重要なのは、漁獲している漁場とその健全性、漁獲量、売上高との関係である。答えるべきより広範な疑問には以下のものが含まれる。
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出所:Fish Tracker Initiative (2017), Empty Nets – How overfishing risks leaving investors stranded, p.34を基に筆者要約。
持続可能性方針 | 透明性 | 漁場と売上の関係 | |
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投資家 |
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金融規制当局 |
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水産関連企業 |
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水産政策当局 |
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市民組織 |
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出所:Fish Tracker Initiative (2017),Empty Nets – How overfishing risks leaving investors stranded, p.35-36を基に筆者要約。
関連資料
Food and Agriculture Organization「2016 The State of World Fisheries and Aquaculture – Contributing to Food Security and Nutrition for All」(2018年3月27日情報取得)
カーボン・トラッカー関連記事
QUICK ESG研究所「【水口教授のヨーロッパ通信】売却か、エンゲージメントか-2℃目標と投資行動」2015年5月28日(2018年3月27日情報取得)
QUICK ESG研究所 特別研究員 水口 剛