ESG研究所【水口教授のESG通信】企業価値からサステナビリティ選好へ ― ESG投資の新しい論理
2019年04月17日
表題にある「選好」という言葉。普段はあまり使わないかもしれない。これは「自分にとって何が好ましいか」という、個人の好みや価値観を表す。サステナビリティ選好は、環境や社会のことを重視して行動したいという個人の価値観である。それはESG投資をする理由になるのだろうか。
いやいや、それはないだろう。ESG要因は投資のリスク・リターンを改善するから考慮するのであって、価値観の話ではないはずだ - というのは、現時点での標準的な反応である。だが、サステナビリティ選好は今や重要な論点になりつつある。それは、ゆくゆくは受託者責任の概念にも関わるかもしれない。そこで本稿では、受託者責任とサステナビリティ選好を巡る3つの論文を並べて紹介したい。
なんだ、論文の紹介か、と思うなかれ。この3つの論文は、いずれもここ数年の間に公表されたもので、互いに直接関連しているわけではないが、3つ併せてみると、あたかも彼らがディスカッションしているかのように読める。研究者たちによるバーチャルな討論を観戦してみようではないか。
1.受益者の利益のみを考慮せよ - ハーバード大学シットコフ教授らの見解
最初に紹介するのは「受託者(Fiduciary)によるESG投資の法と経済学」と題したハーバード大学のディスカッションペーパーである。ノースウェスタン大学のマックス・M・シャンツェンバッハ(Max M. Schanzenbach)とハーバード大学のロバート・シットコフ(Robert Sitkoff)が共同で、2018年9月に公表した。
論文の中で両氏は、ESG投資をその動機に着目して、「付加便益型ESG(collateral benefit ESG)」と「リスク・リターンESG(risk-return ESG)」に区分している。付加便益型とは、受益者以外の第三者の利益(たとえば環境や社会の利益)をもたらすことを動機としたり、モラルや倫理という理由から行われたりするものだという。これに対してリスク・リターン型は、リスク調整後リターンの向上を目的にするものである。
そして、冒頭の「はじめに」の中で、わざわざ「誤解のないように言っておくと、付加便益型ESGの提唱者によるモラルや倫理的な主張を批判するつもりはない」と断っている。もちろんこのように言うのは、実際には批判的だからである。
論文は50ページに及ぶが、おそらく最も主張したかったのは、次のようなことであろう。受託者責任は忠実義務(duty of loyalty)と注意義務(duty of care)からなる。このうち忠実義務は、受益者の利益のみを目的に行動することを求めるので(sole interest rule)、付加便益型ESGは認められない。つまり受託者責任違反である。一方、リスク・リターン型は、その目的を「額面通りに」受け取るなら、忠実義務に反しないと言ってよい。
興味深いのは、同時に両方の目的を持つ場合に対する見解である。最近では、ESGの考慮がリスク・リターンを向上させるとして、「サステナビリティの考慮は投資家利益と両立する」と主張されることが多い。これについて、次のように記している。「受益者の利益と付加的な便益の獲得の両方を追求するというように、2つの動機が混ざっているとしても、『受益者の利益のみ』というルールに違反する。忠実義務は混合動機(mixed motives)を認めない、以上、おしまい(注1)」。
さらに米国の労働省が2015年10月に公表したERISA法の解釈指針にも噛みついている。ERISAとは従業員退職所得保障法の略で、企業年金全般について規定しており、受託者責任についても定めている。それを所管する労働省が、他の投資と比べてリスクとリターンの面で劣るものでなければ、付随的に環境や社会の便益を考慮することは受託者責任違反に当たらないとの見解を示したのである。これに対して論文では、厳密な「受益者の利益のみ」というルールの理解に反すると批判している。
このように、純粋に利益の追求だけを目指すリスク・リターン型ESGは認めるが、それが「同時に社会のサステナビリティにも貢献する」と言うことには、強い抵抗があるようである。その批判には、かたくなな印象さえ受ける。なぜここまでかたくななのだろうか。
ここから先は想像だが、著者が米国の研究者だということが影響しているのではないだろうか。欧州のESG投資は2006年の責任投資原則(PRI)の公表を機に本格化したが、米国ではそれに先立って社会的責任投資(SRI)が一定の存在感をもってきた歴史がある。論文は、今日のESG投資はSRIにルーツがあるとして、その変遷をたどっている。そして90年代にコーポレートガバナンスの要素を付け加えることで、SRIがESG投資へとレッテルを貼り替えたと言うのである。この記述からは、かつてのSRIに対する反感がESG投資への否定的な評価につながっている様子が見て取れる。
その結果、ESG投資への理解も、かえって以前のSRIのイメージに縛られてしまっている。例えば、ESG投資を付加便益型とリスク・リターン型に二分するという分類法は、今日のESG投資の根拠の1つであるユニバーサルオーナーシップの視点を見落としている。市場のほとんどの銘柄に投資するユニバーサルオーナーの立場からは、直接的なリスク・リターンの追求だけでなく、投資先の負の外部性を削減することが合理的な意味を持つ可能性がある(注2)。だが、議論はそれにとどまらない。次に紹介する論文は、まったく別の観点から、重要な論点を提起している。それは、「受益者の利益とは何か」という問題である。
2.企業価値がすべてではない - ハーバード大学ハート教授らの主張
受託者責任のうちの忠実義務とは「受益者の利益だけ」を考えることだと言うが、そもそも受益者の利益とは何だろうか。「そりゃあ、儲けることだろう」と、普通なら考える。
シットコフらも、受託者は「受益者の利益のみ」を考えるべきだと強調したが、何が受益者利益かについては、ことさら議論していない。受益者の利益とはリスク調整後リターンを最大化すること、つまり金銭的利益の追求であることは自明と思われているからである。
ところが、その1年前に、「受益者の利益とは何も市場価値で測られるものばかりではない」と主張する論文があった。ハーバード大学のオリバー・ハート(Oliver Hart)とシカゴ大学のルイジ・ジンガレス(Luigi Zingales)による「企業は市場価値でなく株主福祉を最大化すべき」と題したディスカッションペーパーである。
この論文はESG投資を直接論じたものではなく、企業の適切な目的とは何かをテーマにしている。しかし、それは結局、受益者の利益とは何かという議論に行きつくことになる。両氏はまず、ミルトン・フリードマン(Milton Friedman)の1970年の有名な論文を引き合いに、企業の目的は株主の利益に資することだという前提から議論を始める。ただし「利益」ではなく、「株主福祉(shareholder welfare)」という言葉を使っている。株主が求めるものは金銭的利益より幅広いという意味である。
そして機関投資家が株主の場合、最終的な株主は、その機関投資家に資金を預けている「普通の人々(ordinary people)」だとしている。そのような普通の人々は、日々の生活の中でお金の心配もするが、金のことだけを考えているわけではない。例えば環境のことを考えてガソリン車でなく電気自動車を買ったり、水を大事に使ったり、フェアトレードコーヒーを買ったりするかもしれない。このように、彼らが日々の行動の中で社会の要素も考慮し、外部性を多少なりとも内部化しようとしているなら、投資先の企業にも同じことを求めないのだろうか。これが彼らの基本的な問題提起である。
この議論は、株主にとっての利益という視点からなされているが、機関投資家の立場に立てば、受益者の利益とは何かという問いに他ならない。
ハートらは、株主に社会志向(prosocial)があり、企業活動とその外部性とが完全には分離できない場合、株主福祉の最大化と企業価値の最大化は異なるとして、後者ではなく、前者を追求すべきだと述べている。フリードマンも個人に社会志向があることを認めているが、企業は利益の獲得に専念し、しかるのちに個々の株主が配当を寄付に回せばよいという。これに対してハートらは、企業活動そのものに外部性がある場合、その外部性の存在が株主福祉のマイナス要因となり、外部性を減らすことで株主福祉が高まるというモデルを示している。例えばウォルマートの株主が銃乱射問題を懸念している場合、配当を受け取って銃規制団体に寄付するよりも、そもそもウォルマートで弾薬を売らないようにする方が効果的であり、株主福祉が高まるというのである。
彼らのモデルでは、個人は私的利益も求めるが、社会性にも一定のウエイトを置く。従って投資先企業の活動に外部性があったとしても、すぐに売却したりはしないが、環境や社会により配慮した行動を求めることで、株主福祉が全体として高まる可能性がある。
すなわち、もし受益者が一定の社会志向を持つならば、シットコフが言うように、受益者の利益のみを考慮すべきだとしても、いや、むしろそれだからこそ、サステナビリティを考慮すべきということになる。では、年金の受益者に本当に社会志向があるのだろうか。実は、年金受益者にサステナビリティ選好があることを示す調査結果が公表された。最後にその論文を紹介しよう。
3.サステナビリティ選好はたしかにある - マーストリヒト大学バウアー教授らの調査
2018年11月、マーストリヒト大学のロブ・バウアー(Rob Bauer)、トビアス・ルーフ(Tobias Ruof)、ポール・スミーツ(Paul Smeets)の3人が共著で「現実を見よ!個人はよりサステナブルな投資を好む」と題したワーキングペーパーを公表した。実際の年金基金の加入者を対象にした調査結果をまとめたものである。
調査対象としたのは、2016年時点で187億ユーロの資産を持つオランダの小売りセクターの年金基金(Pensioenfonds Detailhandel)である。バウアーらは、2018年6月、同基金の加入者のうち49,522人に対してオンライン・サーベイへの参加を呼び掛けた。
サーベイでは、まず、すべての参加者にサステナブル投資の概念を説明し、国連持続可能な開発目標(SDGs)を紹介する。同基金はすでに、SDGsのうち「気候変動(目標13)」「人間らしい雇用(目標8)」「平和で公正な社会(目標16)」の3つをテーマに、投資先企業とエンゲージメントを行ってきた。サーベイの参加者にそのことを説明し、実際の事例も紹介した上で、テーマに「作る責任、使う責任(目標12)」を加え、エンゲージメントを強化すべきかどうか、意見を聞いた。テーマを3つから4つに増やすことは、よりサステナブルな投資になると説明した。
この種の調査では、回答者が口で言うことと、実際の行動とが異なることがある。つまり、サステナビリティを重視すると答えたとしても、本心を表していないかもしれない。そこで調査対象を2つに分けて、半分の人には仮定的な質問として意見を聞き、残りの半分には現実的な選択として意見を聞いた。現実的な選択とは、この調査でテーマを4つに増やすべきとの回答が過半数になったら、基金は実際にそのように行動する、ということである。
調査結果は多岐にわたるが、重要な発見は以下の3点である。第1に、エンゲージメントのテーマを4つに増やし、サステナブル投資を強化する案に賛成する回答が多い。つまりサステナビリティ選好はたしかに存在する。第2に、仮定的な質問として聞いたグループと現実的な選択として聞いたグループとで回答に差はない。第3に、かなりの割合で財務的リターンの低下を許容する人がいる。
具体的には、49,552人の調査対象者のうち、5,047人が回答を開始し、2,507人が最後まで回答した。このうち、仮定的な質問として聞いたグループでは、65.4%がよりサステナブルな方、つまりテーマを4つに増やす方を選び、3つにすべきと答えた人は9.6%、25%が意見なしとの回答だった。一方、現実的な選択として聞いたグループでも、67.9%が4つにすべきと答え、3つにすべきという回答は10.8%、意見なしは21.2%だった。どちらのグループでも、6割以上がサステナブル投資の強化を支持したということである。
しかし2,507人という回答者数は全体の5.1%に過ぎない。当然、サステナビリティに関心のある人ほど積極的に回答したという可能性がある。つまり、回答者にバイアスがあるかもしれない。これに関連して調査の中で、直前の2017年国政選挙での投票行動についても聞いている。例えば緑の党に投票するなど、社会志向と投票行動には相関が見られるが、回答者の投票行動は社会全体の実際の投票行動と差がなかった。このことは、回答者バイアスが働いていないことを示唆すると、バウアーらは述べている。
サステナブル投資への支持は財務的な理由からだった可能性もある。参加者はサステナブル投資の方が財務的パフォーマンスが良いと予想し、それゆえ経済合理的な判断として支持したのかもしれない。これに関連して調査では、財務的パフォーマンスに関する予測も聞いている。
サステナブル投資を強化すると、財務的リターンは①高くなる、②低くなる、③同じくらい、④わからない、の4択で聞いたところ、15.4%が高くなる、16.3%は低くなる、24.7%は同じと予測し、残りの43.6%は分からないという答えだった。このうち、高いリターンを予測した人の8割以上は、よりサステナブルな方を選択したが、低いリターンを予測した人でも60.8%が4つにする方を選択し、3つを選択したのは25%に過ぎなかった。リターンの影響が分からないという人でも、62.6%が4つの方を選んだ。さらに、リターンが高くなるか、同程度と予測し、かつ4つの方を選んだ人に、低いリターンでも受け入れるかを聞いたところ、現実的選択グループの42.4%、仮定的質問グループの42.1%がたとえリターンが低くても4つの方を選ぶと答えた。
これはまだ、オランダという国の1つの年金基金の例に過ぎない。だが、結果は驚くべきものだ。もし本当に受益者にサステナビリティ選好があるとしたら、リスク・リターンの改善、ユニバーサルオーナーシップに次いで、ESG投資の新たな根拠になるのではないか。欧州委員会のアクションプランが投資仲介機関にサステナビリティ選好の確認を求める方針を示している中、今後の動きに注目したい。
注
- 1)Max M. Schanzenbach and Robert H. Sitkoff, The Law and Economics of Environmental, Social, and Governance Investing by a Fiduciary, p.18。実際に「The trust law duty of loyalty does not allow for mixed motives, period.」と書かれている。この最後の「period」は、「以上、おしまい(これ以上言うことはない)」というニュアンスのようである。
- 2)ユニバーサルオーナーシップの論理については、『証券アナリストジャーナル』2019年4月号に掲載した「気候変動問題とESG投資」の中で詳しく検討しているので、興味がある方は参照されたい。
関連資料
- 1.Max M. Schanzenbach and Robert H. Sitkoff(2018), The Law and Economics of Environmental, Social, and Governance Investing by a Fiduciary.(2019年4月17日情報取得)
- 2.Oliver D. Hart and Luigi Zingales(2017), Companies Should Maximize Shareholder Welfare Not Market Value.(2019年4月17日情報取得)
- 3.Rob Bauer, Tobias Ruof and Paul Smeets(2018), Get Real! Individuals Prefer More Sustainable Investments.(2019年4月17日情報取得)
QUICK ESG研究所 小松 奈緒美