ESG研究所【水口教授のヨーロッパ通信】PRI in Personワークショップ参加報告 – 気候変動時代の投資-

濁流に家が流される映像に、一瞬、4年半前の津波の光景が重なった。鬼怒川をはじめ各地で堤防の決壊をもたらした9月10日の豪雨は、異常気象のリスクを改めて感じさせるものとなった。個々の気象現象を地球温暖化と直接結びつけることは難しいと言われるが、温暖化の進展によってこの種の極端な気候の頻度と規模が増すことはほぼ確実と予測されている。気候変動のリスクが身近に迫る時代に投資家はどう対応すべきか。鬼怒川の堤防決壊のちょうど前日、ロンドンで開かれた「PRI in Person」というシンポジウムのあるセッションで、示唆に富んだワークショップに参加した。

 

1. 4つのシナリオから考える

PRI in Personは責任投資原則(PRI)の署名機関を中心に関係者が年に1回、一堂に会するイベントで、今年は9月8日から10日の3日間、1000人以上の参加者を集めてロンドンで開催された。その2日目の、4つに分かれたアーリーバード(早朝)セッションの1つが「気候変動時代の投資」であった。他のほとんどのセッションが数人の登壇者によるパネルディスカッション形式をとる中、このセッションはテーブルごとに5,6人の参加者が分かれて座り、課題に取り組むというワークショップ形式であった。

「気候変動時代の投資(原題:Investment in a Time of Climate Change)」と題したそのセッションは、国際的なコンサルティング企業であるマーサー(Mercer)が2015年6月に公表した同名の報告書の内容を基にしている。まずその内容を簡単に紹介しよう。

マーサーは2011年にも『気候変動シナリオ:戦略的資産配分のための示唆(Climate Change Scenarios – Implications for Strategic Asset Allocation)』と題する報告書を公表しており、今回の報告書はその続編にあたる。その内容は、気候変動が投資収益に与える影響を、2015年から2050年までの期間にわたり、モデルを使って定量的に推計したものである。この推計に当たって報告書は、まず4種類の異なる気候変動シナリオを設定している。①転換シナリオ、②調整シナリオ、③崩壊(低損害)シナリオ、④崩壊(高損害)シナリオの4つである。

転換シナリオとは、平均気温の上昇を2℃以内に抑え、低炭素社会への転換に成功するというシナリオである。そのために積極的な気候変動緩和政策がとられ、温室効果ガスの排出は2020年にピークを迎えた後、2050年までに2010年比56%削減されると想定している。調整シナリオは、2050年までに温室効果ガスの排出を2010年比27%削減し、平均気温の上昇を3℃以内に抑えるシナリオである。崩壊シナリオは、十分な対策がとられず、平均気温の上昇が4℃を超えてしまうケースで、経済的損害が比較的小さくてすむケースと大きいケースの2つを想定している。

報告書は次に、投資に影響する4つのリスクを特定している。第1に技術(Technology)で、これは低炭素社会に向けた技術の発展度合いがもたらす影響である。第2に資源の利用可能性(Resource Availability)で、たとえば降水量の変化に伴う水資源の利用可能性などが該当する。第3に物理的な影響(Impact)で、台風や洪水等による施設やインフラなどへの影響が考えられる。第4に政策(Policy)で、これは温暖化防止のためのさまざまな規制の影響を意味する。

これら4つのリスク要因の影響は、4つのシナリオのどれが実現するかによって変わってくる。しかも株式か債券かといった資産の種類(資産クラス)や産業セクターごとに、各リスク要因に対する感応度が違う。それらをモデルに織り込んで、シナリオ別、資産クラス別、産業セクター別に投資価値への影響を推計したのである。その結論を要約すると、まず、どのシナリオになろうと、投資への影響は避けられない。しかし資産クラスと産業セクター別に影響の仕方は大きく異なる。しかもそれはシナリオによっても違ってくるという。

たとえば2℃以内を実現する転換シナリオでは、新興国株式、インフラ投資、不動産、農業投資などの資産クラスでプラスの影響が予想される。しかし4℃を超える崩壊シナリオでは同じ資産クラスへの影響はマイナスに転じる。また、産業セクター別にみると、たとえば石炭産業では2050年までの35年間で平均年間利益は、シナリオに応じて18%から74%の幅で減少が予想されるが、再生可能エネルギー産業の利益は6%から54%の幅で上昇すると予想されている。このように資産クラス別、産業セクター別にみると、気候変動リスクの影響にはプラスとマイナスの両方があるので、転換シナリオ(いわゆる2℃シナリオ)は長期投資家にとってポートフォリオ全体の利益を害するものではないというのが、報告書の最終的な結論である。ワークショップは、このような議論を分かりやすく伝えるものであった。

 

2. もしあなたが投資家だとしたら?

ワークショップでは、ファシリテーターをしたマーサーのヘルガ・バーグデン(Helga Birgden)氏が、最初に4つのシナリオ、4つのリスク要因という報告書の概要を説明した上で、自分ならどういう投資家になりたいと思うかと、3つの選択肢を示した。①気候変動に無知なフューチャー・テーカー(climate-unaware future takers)、②気候変動を理解したフューチャー・テーカー(climate-aware future takers)、③フューチャー・メーカー(future makers)の3つである。フューチャー・テーカーとは、将来影響を受ける人という意味で、気候変動に関してはすべての投資家がフューチャー・テーカーである。①と②の違いは、気候変動のリスクを理解して備えるかどうかにある。これに対してフューチャー・メーカーとは、将来を積極的に作ろうとする人、つまり2℃シナリオの実現のために協調して努力する人を意味している。参加者の答えは、約3割が気候変動を理解したフューチャー・テーカー、約7割がフューチャー・メーカーであった。

そこまで話を進めた上で、各テーブルに課題が割り当てられた。課題は4種類あり、テーブルごとに年金基金、大学の基金、保険会社、運用機関のどれかに指定される。さらに、前提となるシナリオ1つと考慮すべきリスク要因1つが指定され、自分が運用責任者になったつもりで、どの資産クラスの、どの産業セクターをアンダーウエイト(投資の比重を下げる)するか、どれをオーバーウエイト(投資の比重をあげる)するかを検討せよというのである。筆者のテーブルには大学の基金が割り当てられた。

設例を見ると、100年の歴史のある大学基金で10億ドルの運用資産があるという設定である。物価上昇を加味した実質で年間4%の利回りをあげることが目標として課されている。前提とするのは2℃で収まる転換シナリオで、政策リスクを考慮せよとある。なるほど、このように具体的なケースを与えられると、いろいろと考えるものである。テーブルに集まった参加者が話し合うと、フューチャー・メーカーとして問題解決型の投資もしたいが、利回りの目標があるので、まずはフューチャー・テーカーとして投資機会を追求しようとか、途上国に資金を回すことが大事だから、再生可能エネルギーに関わるインフラ投資をオーバーウエイトしよう、やはり石油・石炭産業はアンダーウエイトしておこうなど、さまざまな意見が交わされた。それらの議論を通して、気候変動の多様なリスク要素に応じてポートフォリオのウエイトを変えるという基本的な対応を理解する仕掛けである。

ESG投資というとESG評価に応じた投資先企業の選別をイメージしやすいが、マーサーの報告書は、気候変動リスクへの対応を資産配分(asset allocation)のレベルで考える点に特徴がある。気候変動リスクが加わることで、最適な資産構成のあり方が変わるというのである。そしてそのような考え方をすると、2℃目標が必ずしもポートフォリオ全体の利益を害しないという主張にも頷ける。

最後の発表では、保険会社で4℃シナリオを割り当てられた他のグループから、「当社としてはこのシナリオは受け入れられないので、そうならないように政府に政策の変更を働きかける」という発言もあり、会場を沸かせていた。全体を通じて、2℃目標が決して投資利益の足かせではないこと、フューチャー・テーカーとフューチャー・メーカーも二者択一ではないこと、投資家として政府に働きかけていくことに意味があることなど、さまざまなことを実感させるワークショップであった。

QUICK ESG研究所 特別研究員 水口 剛