ESG研究所【水口教授のヨーロッパ通信】英国が受託者責任規定の見直しへ(その2) ~ スチュワードシップと受託者責任

今、英国では年金基金の受託者責任に関する規定の見直しが議論されている。その主要な論点の1つが、スチュワードシップとの関係である。受託者責任とスチュワードシップはどちらも他人の資産を預かって管理するときに生じる。両者はどう違うのだろうか、英国の法制委員会(Law Commission)の報告書を見るとその違いが見えてくる。
もう1つの論点はESG(環境、社会、コーポレートガバナンス)と受託者責任の関係である。これについては「英国が受託者責任規定の見直しへ(その1)~ケイ・レビューへの回答」を参照されたい。

 

1. 受託者責任とスチュワードシップはどう違うのか

ケイ・レビューの指摘を受けて、英国政府は法制委員会に受託者責任に関する検討を指示した。同委員会は2014年に最終報告書(Fiduciary Duties of Investment Intermediaries)を公表し、それを基に2015年に労働・年金省が職域年金基金規則の改正に関する意見募集を行っている(Consultation on Changes to the Investment Regulations Following the Law Commission’s Report ‘Fiduciary Duties of Investment Intermediaries’)。

法制委員会は受託者責任の解釈が人また時代によってさまざまであることを認めた上で、法的には忠実義務を意味すると述べている。受託者は受託した資産から個人的な利益を得てはならず、受益者と利益相反する立場に身を置いてはならないということである。さらに投資サービスに関わる者はすべて専門家として、相当の注意を払う義務を負うとしている。法制委員会の報告書は注意義務は受託者に固有の義務ではなく、より幅広い投資関係者に関わるので受託者責任とは区別しているが、いずれも受託者が負う法的義務であることに変わりはない。

これに対してスチュワードシップは、資本の最終的な提供者に利益をもたらすよう投資先企業の長期的な成功を支援することだというのが、英国のスチュワードシップ・コードの説明である。その具体的な活動として投資先企業の「戦略」「パフォーマンス」「リスク」「資本構造」および「コーポレート・ガバナンス」の問題について、モニタリングとエンゲージメントが挙げられている。

法制委員会の報告書はこの定義を受け入れた上で一定の状況では受託者がスチュワードシップに類似した義務を負うことがあるとして、ハーバート・バートレット卿とバークレイズ銀行のケースを挙げている。バートレット卿が委託した信託財産の受託者だったバークレイズ銀行が、投資先企業に巨額の損失が生じるのを見過ごしたとして責任を問われた事例である。バートレット卿の信託財産は全額がある同族企業に投資されており、同社の発行済み株式の99.8%を所有していた。しかし受託者であるバークレイズ銀行は同社の経営陣に経営を任せきりにし、結果として不動産開発事業の失敗によって信託財産に巨額の損害をもたらしたというのである。投資先企業を実質的に支配し得る株式を保有している場合には、単に経営陣に経営を任せるだけでは受託者の行動として不十分であり、その企業で起きていることを把握しておく責任があるというのが、法制委員会の見解である。

つまりスチュワードシップとは、単に他人の資産を管理する場合の一般的な責任ではなく、ある特定の方法で管理することを意味するのである。その方法とは、保有先企業の経営をモニタリングし、エンゲージメントすることである。これは、単に投資対象を選び、保有し、売却するという通常の投資判断を超えている。スチュワードとは執事や管財人という意味をもつが、彼らは主人に代わって、使用人を管理し、主人の財産を切り盛りする役割を果たす。スチュワードシップとはそういう態度をさすのである。

 

2. スチュワードシップは受託者の義務か

それでは投資先企業の支配的な株主でなく多くても発行済株式の数パーセントを保有するに過ぎない場合、スチュワードシップ・アプローチをとるべきなのか。この点について法制委員会は、当初、大規模なファンドにとってはスチュワードシップ・アプローチが有効な場合もあり得るが、それをすべき法的義務はなく、そのような直接的なエンゲージメントはほとんどの受託者にとってはコストがかかりすぎる、という立場を取っていた。

この見解に対しては多くの反論が寄せられたという。小規模な年金などは直接的なエンゲージメントをしなくても、その権限を運用機関などに委託できるので、コストがかかりすぎるとは言えないというのである。法制委員会はこの反論を受け入れ、スチュワードシップ・アプローチは小規模な年金等でも取り得る方法であることを認めた。それでは、それは必ずすべきことだろうか。

もしスチュワードシップ・アプローチが必ず受益者の利益に資するならば、それは受託者の注意義務の一部ということにならないだろうか。実際、全英年金基金協会(The National Association of Pension Funds)は法制委員会に対して、スチュワードシップ活動が投資利益に資することがますます明確になりつつあるのだから、受託者責任の一部とすべきだとコメントしている。しかし政府は、現在、スチュワードシップ・コードを受け入れるかどうかの判断を個々の投資家に任せるという立場を取っている。したがって法制委員会としては「スチュワードシップの重要性を認識するが、現時点ではそれは受託者の裁量に委ねられており、スチュワードシップ活動を行う法的義務はない」と結論づけている。

その上で法制委員会は投資先企業の長期的成功に資することは明らかに年金基金の利益なのであるから、受託者が投資先企業とエンゲージメントすることを考慮するように促すべきとの立場を示した。そして、職域年金基金が策定する投資原則書(Statement of Investment Principles : SIP)の記載事項にスチュワードシップに関する方針を含めることを提言したのである。この提言を受けて、労働・年金省は「職域年金基金規則を改正しスチュワードシップ・コードを遵守するか、そうでない場合はその理由を説明するよう要求することが、法制委員会の勧告内容を実現するのに最も適切な方法だと思うか」という意見募集を行った。スチュワードシップは法的義務ではないが、SIPに書いた時点で遵守する責任が生じるということであろう。意見募集は4月24日に締め切られ、2015年後半には政府の回答が公表される予定である。  日本でも日本版スチュワードシップ・コードの受け入れ表明は2015年3月時点で180社を超えた。運用機関と企業とのミーティングも増えてくるだろう。だが、ケイ・レビューが指摘しているように、エンゲージメントで重要なことは回数ではなく、その質である。スチュワードシップとはあたかもスチュワードのように振舞う態度ということであるから、その企業に関わる状況を幅広く理解しておく必要がある。したがってスチュワードシップを真剣に考える投資家が増えるならば、投資先企業(特にモニタリング)情報の重要性がますます高まるに違いない。

QUICK ESG研究所 特別研究員 水口 剛