ESG研究所【水口教授のヨーロッパ通信】工場的畜産のリスク - 動物愛護からESG課題へ

工場的畜産(factory farming)とは、伝統的な農場ではなく、建物の中であたかも工業生産のように行われる畜産を意味する。これまでも動物の福祉(animal welfare)の観点から批判はあったが、投資家の視点からそのリスクに警鐘を鳴らす人がいる。プライベート・エクイティ(非上場株投資)のセカンダリー・マーケットのパイオニアとして名高いジェレミー・コラー(Jeremy Coller)氏である。彼によれば、工場的畜産は単に動物愛護の問題ではなく、ESG課題の一種であり、投資のリスクと機会に関わるという。その主張に耳を傾けてみよう。

 

1.工場的畜産はなぜ問題なのか

工場的畜産の具体的なイメージとはどんなものだろうか。狭い畜舎や檻の中での、身動きできないほどの過密な飼育、照明や栄養を管理した速成肥育、感染症予防のための大量の抗生物質の使用。このような描写は、それが事実だとしても、情緒的なものと受け取られやすい。単に「動物が可哀想」という感情的な話のように見えるのである。そしてさまざまな「反論」を招くことになる。

典型的な反論は、「あなたは動物を食べないのか」「動物を食べるなと言いたいのか」「植物も生きているのに、なぜ動物だけが可哀想なのか」などだろう。人間は所詮他の生命を犠牲にしなければ生きていけないというのである。

これに対して欧州では早くから、家畜にも寝たり身体を伸ばしたりする行動の自由を与え、不必要な苦痛を与えないようにすべきだという「動物の福祉」という考え方が生まれ、1976年には「畜産目的で飼育される動物の保護のための欧州協定(European Convention for the Protection of Animals kept for Farming Purposes)」が定められた。今日では「動物の福祉」の概念は、「飢えと渇きからの自由」「不快感からの自由」「痛みや疾病からの自由」「行動の自由」「恐怖と苦痛からの自由」という「5つの自由」として理解されている。これは、「動物にも生きる権利がある」として屠殺や肉食そのものを批判する「動物の権利」論とは一線を画す。「動物の福祉」の議論は、最後には食べることになる、ということを許容した上で、それでも生きている間に不必要な苦痛を与えるべきではない、という倫理規範なのである。

この点についても、結局は食べるのだから、単に人間の自己満足ではないか、という意見はあるだろう。欧米の文化は動物を人間のために存在するものとみなして管理しようとするものだが、日本には生きとし生けるものは皆平等という仏教思想がある、との声もあるかもしれない。だが、そのような主張をしたとしても、工場的畜産が存在するという現実が変わるわけではない。

この際限のない議論に、投資家にとってのリスクという現実的な視点を持ち込んだのが、英国を拠点とする「FAIRRイニシアティブ」である。FAIRRとは、「Farm Animal Investment Risk & Return」の頭文字を取ったもので、投資リスクとリターンの観点から畜産のあり方について問題提起するイニシアティブである。プライベート・エクイティ大手のコラー・キャピタル(Coller Capital)を率いるジェレミー・コラー氏が、ジェレミー・コラー財団を通じて推進してきた。同イニシアティブは、2016年2月、『工場的畜産:投資リスクの分析(Factory Farming: Assessing Investment Risks)』と題した報告書を公表した。

それによると、現在、世界の畜産の70%は工場的畜産であり、米国ではその比率は99%に達する。そこにはさまざまなESG問題があり、農業、食品、小売、外食などのサプライチェーン上の各セクターに多様なリスクをもたらす。それにも関わらず、責任投資を行う投資家でさえ、そのリスクに十分注目してこなかったという。

たとえば過密な飼育環境の中でいったん感染症が発生すると、一気に蔓延するリスクがある。報告書によれば、工場的畜産は豚インフルエンザや鳥インフルエンザが急速に広まる最大の原因であり、2015年の米国における鳥インフルエンザの流行では33億ドルの損失が発生したという。また、米国では抗生物質の80%が工場的畜産で使用されているといい、過剰な抗生物質の利用が耐性菌を生むリスクも指摘されている。食の安全や動物の福祉に対する関心が高まることで、工場的畜産が評判リスクにつながる可能性もある。さらに、工場的畜産を含む畜産セクター全体で世界の温室効果ガスの14%を排出しており、これは輸送セクターより多い。世界の大豆消費の85%は畜産飼料用であるといい、その大豆の生産は森林破壊の主要な原因の一つにあげられている。このようなビジネスモデルは継続可能なのかと報告書は問うのである。FAIRRは、投資家がこれらのリスクを理解し、投資意思決定のプロセスに組み込むよう、促している。

 

2.「動物の福祉」ベンチマークの登場

FAIRRイニシアティブのこのような指摘を、実際の企業の評価へと転換する動きも始まっている。BBFAW(Business Benchmark on Farm Animal Welfare:畜産動物福祉に関する企業のベンチマーク)と題した企業評価のプログラムである。「Compassion in World Farming」と「World Animal Protection」という英国の2つのNPOが2012年に共同で立ち上げ、2014年からコラー・キャピタルが運営に加わっている。

BBFAWの目的は、①畜産動物の福祉が事業に及ぼす影響を理解するための情報を投資家に提供し、②投資家、NGO、消費者などのステークホルダーに畜産動物の福祉に関する企業評価を提供し、③企業に畜産動物の福祉の向上のためのガイダンスを提供することだとされている。2016年1月には、食品小売り・卸売り、外食、食品製造業の3セクターからなる世界の食品関連産業90社を評価してレーティングし、報告書『The Business Benchmark on Farm Animal Welfare 2015 Report』を公表している。評価の対象となった企業は、米国企業23社、英国19社、フランスとドイツが8社ずつで、日本企業は含まれていない。

評価項目は、①経営者のコミットメントと方針、②ガバナンスとマネジメント(目標の策定やサプライチェーン・マネジメントなどを含む)、③実践とイノベーション、④情報開示の4つである。評価結果は点数化し、6段階でレーティングしている。その評価結果の概要を下の表に示した。最も評価の高いグループは「リーダーシップ」と名付けられ、英国の大手スーパーであるM&Sとウエイトローズ、スイスの小売大手であるコープ・グループ、英国で養鶏・卵製品事業を展開するノーブル・フーズ(Noble Foods)の4社がランクインしている。

BBFAWはさらに、この評価結果を基に、投資家が評価対象となった企業とエンゲージメントすることを推進している。エンゲージメントの内容は、(1)評価の低かった企業に対して方針の策定、マネジメントシステムの強化、活動成果の報告を促すことと、(2)評価の高い企業を称賛し、投資家が支持しているという明確なシグナルを送ることだという。2015年12月時点でコラー・キャピタルの他、英国の保険大手アビバ・グループの運用機関であるアビバ・インベスターズ、オランダのトリオドス銀行、ロベコ(Robeco)など18機関が参加を表明している。

このようにヨーロッパでは工場的畜産はESG投資の新たなテーマになりつつある。日本企業はまだBBFAWの評価対象にはなっていないが、同様のリスクは日本の食品産業にもあるはずだ。2015年6月のシンポジウム「RIヨーロッパ」に登壇したジェレミー・コラー氏は、「最大のリスクは『知らないということ』だ」と述べている。動物の福祉という考え方をどう思うかに関わらず、工場的畜産のリスクは、今後、投資家として注視すべきテーマの一つになったと言うべきだろう。

 

表 畜産動物の福祉に関する企業評価

階層(Tier) スコア 主な企業 社数
リーダーシップ(Leadership) 80%以上 コープ・グループ(スイス)、M&S(英国)、ウエイトローズ(英国)、ノーブル・フーズ(Noble Foods、英国) 4
経営戦略の一部になっている(Integral to Business Strategy) 62-80% ユニリーバ(英国)、マクドナルド(米国)、ミグロス(Migros、スイス)等 7
取り組んでいるが、まだすべきことがある(Established but Work to be done) 44-61% ウォルマート(米国)、ネスレ(スイス)、TESCO(英国)等 16
前進がみられる(Marking progress on implementation) 27-43% シスコ(Sysco、米国)、 クローガ-(Kroger、米国)、 ウェンディーズ(Wendy’s、米国)等 27
課題として認識されている(On the business agenda but limited evidence) 11-26% スターバックス(米国)、ヤム・ブランズ(Yum! Brands、米国)、デリ・クレスト(Dairy Crest、英国)等 17
課題として認識されていない(No evidence on business agenda) 11%以下 ドミノピザ(米国)、バーガー・キング(米国)等 19

出所:BBFAW(2016), The Business Benchmark on Farm Animal Welfare 2015 Reportを基に筆者作成。

 

お知らせ

本コラムは、水口教授が本年3月中旬に執筆されたものです。
教授には、2月に日本へ帰国されるまでの約1年間、主にロンドンから、【水口教授のヨーロッパ通信】のタイトルで、ヨーロッパで議論されている最新のESG動向をテーマとしたコラムを執筆いただきました。
現在は帰国されているため、今後は新たなシリーズ形式でのコラム掲載を予定しております。
ご期待ください。

QUICK ESG研究所 特別研究員 水口 剛