ESG研究所【水口教授のヨーロッパ通信】受託者責任の再考-責任投資の「システミックな課題」とは何か
2015年09月30日
9月8日から10日まで3日間にわたって、「PRI in Person」と題する大規模なシンポジウムが開かれた。ロンドン郊外の大きな会場に1000人以上の参加者が集まり、責任投資に関する過去最大のイベントとなった。さまざまなテーマがある中、最も驚かされたのは7番目の原則を検討するという発表であった。それは、責任投資に関する「システミックな課題(Systemic issue)」に関わるものだという。受託者責任の解釈もそのようなシステミックな課題の一部と捉えられており、シンポジウムに合わせて『21世紀の受託者責任』と題する新しい報告書も公表された。責任投資のシステミックな課題とは何か、受託者責任はそれとどう関わるのか、PRIにおける最新の議論をお届けしたい。
1.7番目の原則
PRI in Personの開会に先立ち、同じ会場でPRI署名機関の総会が開かれた。その冒頭、挨拶にたったPRI会長のマーティン・スカンケ氏は、この1年間のPRIの活動を振り返った上で、次のように述べた。PRIの6原則は重要な出発点だったが、それは現代の投資家が直面する課題の一部をカバーしているにすぎない。たとえばシステミックな課題に関する7番目の原則を追加するなど、原則を見直そうという気持ちが署名機関の間にあるかどうか、見極めたい、と。
ここで言うシステミックな課題とは何だろうか。「システミック・リスク」という考え方は2008年の金融危機を機に注目が高まった。それは、1つの金融機関の破綻が他の金融機関や他の市場へと伝播し、金融システム全体が危機に陥いるようなリスクを意味する。個々の金融機関の問題ではなく、システム全体が内包する課題と言っていいだろう。責任投資におけるシステミックな課題も、個々の金融機関だけでは解決できず、最終的には経済システムや社会システム全体に危機をもたらすという意味では、同様の発想と思われる。ただ、狭義の金融危機よりは広いものがイメージされているようであった。
PRIの6原則は金融危機の前に策定されており、基本的には投資家と投資先企業との関係に焦点を当てている。しかし金融危機で明らかになったのは、金融システムに内在する短期主義が深刻な危機を招いたという事実である。そしてこの短期主義が環境や社会の課題の解決をシステミックに阻んでいる。投資家と企業の関係だけに目を向けていても、なかなか問題が解決しないのは、それが経済システムや社会システム全体の問題だからであろう。そこに焦点を当てていこうというのである。スカンケ氏は、具体的に、投資経路(investment chain)の問題、受託者責任、外部性(externality)などをシステミックな課題の例として挙げた。
たとえば年金が運用機関に運用を委託する場合、半期や1年といった期間で運用機関の運用状況を評価することが多い。すると、本来は長期的な視点で運用すべき資金であっても、運用機関の側には短期的に成果をあげなければというインセンティブが生まれやすい。ことに欧米では、運用機関がさらに運用の一部を特定の運用に特化した専門家に委託したり、専門性の高い運用商品を利用したりというように投資の経路が長くなる傾向があるようで、そのことが市場の短期主義を生み、企業行動にも影響する。このような負の連鎖を断つには、投資経路における契約のあり方から見直していく必要がある。
また、投資行動にESGの要素を組み込むことをシステミックに阻んでいるものという意味では、人々の認識の問題もある。相変わらず、ESGは財務的利益を阻害するという古い考え方が市場に残っているとすれば、それも1つのシステミックな課題であろう。これは、受託者責任の問題とも関わる。ESGの考慮が受託者責任に反するという誤った解釈が、責任投資の浸透をシステミックに阻んでいる。その結果、金融市場が環境や社会のリスクを無視し続ければ、いずれ貧困や気候変動の進展が臨界点を超え、社会システムや経済システム全体に大きな危機をもたらしかねない。そして結局は金融に跳ね返ってくるのである。
長期的に考えればESGに配慮することが合理的であるにも関わらず、それが市場に組み込まれていかないのは、ある種のESG課題には外部性があるからでもある。気候変動問題はその典型である。被害の多くは温室効果ガスを放出した原因者以外の人が負うのだし、逆に排出削減の恩恵も広く行き渡るのであるから、短期的な思考をすれば、自らはコストを負わずに誰かが解決してくれるのを待つという行動になっても不思議はない。フリーライダーが発生しやすいのである。この意味で、外部性もシステミックな課題の1つなのである。
気候変動などの外部性がシステミックな課題であるというのは、長い目で見ればシステム全体の安定に跳ね返ってくるということでもある。だとすれば、その影響を考慮することも受託者責任の一部と言えないだろうか。この点でも受託者責任の解釈は、システミックな課題における重要な論点の1つであることがわかる。
2.21世紀の受託者責任
『21世紀の受託者責任』はPRI、UNグローバル・コンパクト、UNEP FI、UNEP Inquiryの4者による共同プロジェクトの結果をまとめた調査報告書である。カナダ、米国、ブラジル、英国、ドイツ、南アフリカ、オーストラリア、日本の8か国を対象に、投資関係者、法曹、規制当局の50人以上へのインタビューと各国の法制度のレビュー、ラウンドテーブルでの議論などをへて作成された。受託者責任は国ごとに法律で規定される責任であるから、本報告書が法的な効力をもつというものではない。しかし国連に関わる4機関の共同の報告書であり、今後、受託者責任の具体的内容を解釈する場合に重要な指針の1つとなるのではないだろうか。
この調査は、2005年に公表されたいわゆる「フレッシュフィールズ報告書」から10年の節目に行われた。2005年の報告書は、UNEP FIが英国の大手法律事務所であるフレッシュフィールズ・デリンジャーに委託して作成されたもので、この時すでに「投資分析にESGの考慮を組み込むことは明らかに許容されるし、ほぼ間違いなく求められることである」と結論づけられていた。それにも関わらず、いまだに受託者責任がESGを考慮できないことの理由に使われることがある。今回の調査の目的の1つは、「受託者責任があるからESGを考慮できない」という議論を終わらせることだ、と記されている。
本報告書によれば、インタビューした人の多くが気候変動や労働問題、消費者の期待の変化など、ESGが投資価値に影響する多様な事例をあげ、ESGに関するリサーチレポートが質量ともに増加していることを指摘した。また機関投資家の多くがESGに関するコミットメントを表明しているとして、受託者責任はESGを考慮することの障害ではないと結論づけた。
もっとも、ここまでであればフレッシュフィールズ報告書の結論と本質的には変わらない。本報告書の価値は、さらに「投資家の受託者責任とは、投資行動がより広範な社会や環境に対して持つ影響まで考慮することを求めるものか」という問題を提起し、「受託者責任を、21世紀の投資家にふさわしいものへと再定義する必要があるか」という問いに取り組んだ点にある。
報告書はまず、「受益者(beneficiary)の利益」が受託者責任の定義の中心であるとして、次のように述べる。従来、受益者の利益とは財務的な利益だと狭く解釈されてきた。投資家は、受益者に特に確かめることもなしに、その前提で自らの投資判断を行ってきた。しかし最近では、何が最大の関心事なのかという受益者の見方を考慮すべきではないかということが議論になっている。これに対しては、①受益者の多くは年金がどのように投資されているのか知らない、②受益者の間でESGをどう扱うべきかについての合意ができるとは思えない、③何万人もいる受益者の意見を聞くことは不可能、などの意見もある。しかし、(1)年金はもっと複雑な問題でも受益者の意見を聞いているではないか、(2)受益者の意見を聞くのは個々の具体的な問題で合意を得るためではなく、ESG問題を全体としてどの程度重視しているかを理解するためである、(3)受益者の意向を確認することは受託者の正当な注意の一部なのではないか、などの反論がなされている。
さらに報告書によれば、インタビューで次のような指摘がなされたという。投資家は気候変動のようなサステナビリティ課題に対して重要な貢献ができる。たとえば、より長期的な観点からそれらのリスクを分析したり、より高い基準を適用するよう企業に促したりすることである。それらの活動は受託者責任とも整合する。また、政策的枠組みが投資家行動を促す鍵になるので、政府に対して市場の失敗を是正し、外部性を内部化するような政策をとるようエンゲージメントしていくことが、受託者責任の不可欠の一部として必要である。
なぜそれが受託者責任の一部と言えるのか。報告書の序文でABP(オランダの公務員年金基金)会長のコーリエン・ウォートマン・クール(Corien Wortmann-Kool)氏は次のように述べている。「受託者としての義務は投資活動の仕方だけに限られるものではない。受益者に対して長期的に責任を果たす能力は、安定した資本市場と経済、そして健全で持続可能な社会と環境のシステムに依存している」。それゆえそのような安定的で持続可能な経済、社会、環境のシステムを維持するために行動することも、受託者責任の一部だというのであろう。
これらの検討を踏まえて、報告書は、受託者がESG問題を考える際には、それを3つに分けて考えることが有用だと指摘している。第1に財務的に重要性のあるESG問題で、これは当然のこととして考慮しなければならない。第2に非財務的な重要性のあるESG問題である。これは、ステークホルダーにとって重要かもしれないが、企業が適切に対処すれば事業活動に重要な脅威とはならない問題だと説明されている。受託者は、企業の対応状況を注視し、対応に失敗して財務的な損害を招く恐れがある場合には介入すべきだとしている。そして第3にあげられているのが、より広範な社会、経済、環境的問題である。これは、当面の財務的影響は限られているが、潜在的には投資目的を達成する能力に重要な影響を及ぼし得る問題であり、たとえば経済システムや環境システムの安定性と健全性に影響する問題であるという。これに対しては、責任投資にコミットした投資家は、投資の分析と意思決定の際に考慮し、株主行動に反映し、政府が適切な政策をとるようエンゲージメントすべきだとしている。
この第3のケースはよく読むと、受託者責任だとまでは断定していないようにも見える。しかし、調査結果を踏まえた機関投資家向けの提言では最初に「責任投資に対するコミットメントを表明すること」があげられており、目指す方向性は明らかである。受託者責任の定義と解釈を見直していくべきだという強いメッセージが込められていると言っていいだろう。
表 『21世紀の受託者責任』の主な提言事項(一部抜粋)
世界に共通する提言 | 国別の提言(日本向け) |
[機関投資家に対して]
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[金融庁]
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[仲介機関]
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[厚生労働省]
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[政策決定者と規制当局]
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[企業年金]
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[投資銀行]
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(出所)UN Global Compact, UNEP FI, PRI and Inquiry(2015), Fiduciary Duty in the 21st Century, pp.20-23より一部抜粋。
QUICK ESG研究所 特別研究員 水口 剛