ESG研究所【水口教授のヨーロッパ通信】ロンドン証券取引所のESGレポーティングガイダンスが意味すること
2017年05月12日
ESG情報開示を巡る動きが賑やかだ。2016年10月にはサステナビリティ報告の国際ガイドラインであるGRIガイドラインが「基準」へと格上げされ、GRIスタンダードとして公表された。同年12月には金融安定理事会のタスクフォース(TCFD)が報告書を公表し、気候変動情報の開示を提言した。そして2017年2月、今度はロンドン証券取引所がESGレポーティングのガイダンスを公表した。世界主要取引所の一角であるロンドン証券取引所がESG情報の必要性を公式に認めたことは、投資意思決定においてESG要因を考慮することがいよいよ普通のこととなった表れと言えるのではないか。いったいどのようなガイダンスを示したのか、その内容を見てみよう。
1.ガイダンスを読む
ロンドン証券取引所といえば、ニューヨーク証券取引所、ナスダック(NASDAQ)、東京証券取引所、ユーロネクストと並ぶ世界の主要取引所の1つである。そこがESGレポーティングのガイダンスを出したと聞けば、インパクトは大きい。一方で、GRIやIIRC、SASBなど、すでにESG情報に関するガイドラインやフレームワークは目白押しの感がある。ではガイダンスには何が書いてあるのだろうか。
実はこのガイダンスでは、報告のフォーマットや指標のような具体的な内容は示されていない。代わりに「8つの優先事項(priorities)」と題して8項目の解説がなされている。その8項目のタイトルを下の表に示した。
1の「戦略的関連性(Strategic relevance)」では、気候変動などのESG要因はビジネスモデルや戦略に影響し得るので、そこから利益を得たり、関連するリスクを軽減したりするために自社がどのようなポジションをとろうとしているのか、説明できるようにしておくことが重要だと述べている。それによって、投資家は企業が事業環境の変化にいかに戦略的に備えているかを評価できるようになるというのである。また、2の「投資家にとってのマテリアリティ(Investor materiality)」では、企業の長期的な見通しを理解するために投資家は最もマテリアル(重要)な要因に焦点を当てるが、何をマテリアルと考えるかは投資家によっても異なるとし、企業自身がどのESG課題が最もマテリアルだと考えているか説明しなければならないと述べている。さらに3の「投資に役立つグレードのデータ(Investment grade data)」では、正確性や比較可能性など、ESGレポーティングに求められる情報の特性を列挙している。
興味深いのは4の「グローバル・フレームワーク(Global frameworks)」である。ここでは、最も広く使われているフレームワークとしてGRI、IIRC、SASB、CDP、CDSB(Climate Disclosure Standards Board)を紹介している。また、今後のESG情報のフレームワークになり得るものとして国連の持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals: SDGs)と、TCFDの提言をあげている。つまりこのガイダンスは、すでに国際的にさまざまなガイドラインやフレームワークがあるという現状を前提として、具体的な開示内容に関してはそれらを利用することを想定しているのである。
5の「報告フォーマット(Reporting formats)」では、ESGレポーティングの具体的な方法として①アニュアルレポートの中での開示、②独立のサステナビリティ報告書、③統合報告書という3つがあることを示しているが、どれかを特に推奨するということはしていない。また、6の「規制と投資家コミュニケーション(Regulation and investor communication)」では、各国でESGレポーティングの義務化が進んでいるというKPMGなどの2016年の調査結果を紹介した上で、英国会社法の改正による戦略報告書の導入やEUの非財務情報開示指令などについて解説している。
考えてみると、すでにESGレポーティングが義務化されているのであれば、あえてガイダンスを出す意味があるのかとも思えるが、この点についてガイダンスは、単に法令を守るという姿勢ではなく、規制を投資家向けレポーティング向上の機会として利用すべきだとしている。そのためには規制がカバーする範囲を超えて、自社にとって最もマテリアルなESG課題を特定する方向へと進むことが重要であり、そうすることによってのみ投資家とのより豊かな対話が可能になると述べている。
2.グリーン事業への関心
ガイダンスの最後の2項目ではグリーン事業に焦点を当てている。グリーン事業とは環境ソリューションの提供、つまり環境問題の改善に資する製品やサービスを提供する事業を意味する。まず、7の「グリーン事業の収入(Green Revenue reporting)」で、投資家は企業のグリーン製品・サービスへの関わりの程度を知りたがっているが、利用可能な一貫性のある情報は限られているとして、企業は低炭素経済への移行を可能にするグリーン製品・サービスへの関与について積極的にコミュニケーションすべきだと述べている。そしてそのためには、環境ソリューションをもたらす製品・サービスを特定し、関連する収入を計算し、さらに、それらに関するイノベーションや研究開発に投資することがどう将来の成長をもたらすのかについても説明する必要があると説いている。
その上で8の「負債での調達(Debt finance)」でグリーンボンドを取り上げている。ESGレポーティングのガイダンスがグリーンボンドとどうつながるのか、と疑問に思うかもしれないが、これは次のような流れで説明されている。
まず、通常の債券に関しても投資家は発行企業のESGの側面にますます関心を持つようになってきた。そこで債券発行企業が全社レベルでのESGレポーティングを行う場合にもこのガイダンスが役に立つ。一方、調達資金の使途をグリーン事業に限定して発行するグリーンボンドへの関心も高まっている。この場合のレポーティングは調達資金を充当したグリーン事業とその環境改善効果に関するものになる、というのである。そしてグリーンボンドと呼び得るにはいくつかの要件があるとして、以前のコラムでも触れたグリーンボンド原則の要点を紹介している。
ガイダンスの最後の項目がグリーンボンドなのは、ロンドン証券取引所がグリーンボンドに力を入れているからであろう。同取引所は2015年6月、債券市場の中にグリーンボンド専用のセグメントを開設した。グリーンボンド原則では外部機関によるレビューは必須ではなく、推奨事項に留まるが、同取引所では外部レビューがなければグリーンボンドのセグメントには入れない。それでも実際に2016年12月時点で40件がグリーンボンドとしてリストアップされている。
こうして見てくると、ロンドン証券取引所がこのガイダンスを公表した意味が分かる気がしてくる。戦略報告書でのESG情報の開示義務がある中でのガイダンスであることに加え、GRIやIIRCなどすでに多くのガイドラインやフレームワークがあることを考え合わせると、このガイダンスがESGレポーティングに与える実務的な影響が大きいとは思えない。むしろこれは、ロンドン証券取引所がESG重視へと舵を切ったことの表れであり、取引所としてのESGに対する姿勢を分かりやすく示すという意味があったのではないだろうか。
3.世界的に進む動き
今回のロンドン証券取引所によるガイダンス公表の背景には、持続可能な証券取引所(Sustainable Stock Exchange: SSE)イニシアティブの動きがある。SSEは、ESGに関する企業の透明性を高め、サステナビリティ投資を促進することを目的に、2009年に設立された世界の証券取引所のネットワークである。現在では、ニューヨーク証券取引所、ナスダック、ユーロネクストを含む60以上の取引所がメンバーになっており、ロンドン証券取引所も2014年5月から参加している。
SSEは、2015年9月に「投資家向けESGレポーティングに関するモデルガイダンス」を公表し、それを基に各証券取引所が独自のガイダンスを策定することを促すキャンペーンを開始した。さらに同年、国際取引所連合(World Federation of Exchanges: WFE)がSSEのモデルガイダンスを補完する提言を公表している。ロンドン証券取引所のガイダンスはこれらに基づいて策定されたものである。
動き出したのはロンドン証券取引所だけではない。2017年3月にはストックホルム、ヘルシンキ、コペンハーゲン、アイスランド、タリン(Tallinn: エストニア共和国の首都)、リガ(Riga: ラトビア共和国の首都)、ヴィルニアス(Vilnius: リトアニアの首都)の各証券取引所を運営する北欧ナスダック(Nasdaq Nordic)が新たに「ESGレポーティングガイド」を公表した。
証券取引所は発行企業と投資家をつなぐ立場にある。その証券取引所が世界で競うようにESGレポーティングを推進し始めた。それは、ESG要因を加味して投資判断をする方が普通だという、そういう時代になってきたということではないだろうか。
QUICK ESG研究所 特別研究員 水口 剛