持続的にPBRを向上し、投資家に評価される企業経営とは 企業理念実践経営について考える

市場改革について議論する東京証券取引所主催のフォローアップ会議で「PBR(株価純資産倍率)1倍割れへの対応の重要性」を提唱した元オムロン株式会社(以下、オムロン)取締役の安藤聡氏が「日本企業に対する株式市場の評価を向上させるために必要なこと」「持続的にPBRを向上し、投資家に評価される企業経営」について、オムロンの取り組みを交えて解説します。

 

企業理念を浸透させるために

Vol.2 サステナビリティ経営とROIC」では、オムロン株式会社(以下、オムロン)がオムロンユニークな経営の三つの柱として採用したサステナビリティ経営の分解式「企業理念実践経営 × ROIC経営 × ESGインテグレーション」を紹介しました。

 

今回は、分解式の中からオムロンの「企業理念実践経営」についてお話します。

 

ここ数年、企業経営者から「企業理念がなかなか社員に浸透しません。どうしたら良いでしょうか」という悩みをよく聞きます。創業当初から企業理念を経営の柱として重視してきたオムロンも、2007年当時は事業規模の拡大やグローバル社員の増加もあって、同様の課題を感じていました。

 

そこで、2007年から「企業理念共有活動」に力を入れ始めました。特に2012年に「TOGA(The Omron Global Awards)」と呼ぶ社員起点のボトムアップ型表彰制度を新設し、改めて「企業理念を実践し続ける文化」を醸成する取り組みをスタートしました。

 

そのうえで、2015年に企業理念を改定しました。従来の「基本理念」を「Mission」に、「経営理念」を「Values」に変えて分かりやすくし、それぞれに「Our」を付けて「Our Mission(社憲)」「Our Values(私たちが大切にする価値観)」とすることで、社員一人ひとりが自分事として捉えられるよう意識しました。

 

2022年には「企業理念の実践」を定款に盛り込み、オムロンにとって揺るぎない価値観として社内外に宣言しています。

 

 

こうして改定したオムロンの企業理念は、「われわれの働きで われわれの生活を向上し よりよい社会をつくりましょう」を社憲とし、私たちが大切にする価値観として「ソーシャルニーズの創造」「絶えざるチャレンジ」「人間性の尊重」を掲げました。

 

同時に、新たに作成したのが「経営のスタンス」です。「どういう考え方で経営を進めていくか」をわかりやすく簡潔な言葉でまとめました。

 

 

企業理念は、どれだけ立派な言葉を掲げても、グローバル社員一人ひとりが自らの日々の仕事と関連付けて捉えることができなければ意味を成しません。私は「経営のスタンス」を明示することで、事業を営んでいる現場と企業理念の間に生じがちな乖離を埋めることができると考えました。

 

「企業理念実践経営」のフレームワーク

 

オムロンの「企業理念実践経営」のフレームワークは、最上位の概念に「企業理念」があります。これは、どれだけ時が流れても変わることのない、私たちの判断や行動の拠り所であり、求心力であると同時に発展の原動力でもあります。発展の原動力は、中長期的な成果と成長を実現する「遠心力」と言い換えることができます。

 

企業に属している社員にとって求心力が必要なのは言うまでもありませんが、中央集権的な組織は柔軟性を損ないます。だからこそ、発展の原動力としての遠心力、つまり現場への権限移譲(分権経営)による成長とリスクマネジメントを重視しているのです。

 

フレームワークの中央に、事業を通して企業理念を実践する経営の姿勢や考え方を示す「経営のスタンス」があります。いくらお客さまのためであったとしても、世の中が容認しないような判断をしてはいけませんし、ましてや私利のために行動するのはもってのほかです。

 

この経営スタンスの下に「長期ビジョン」と「オムロングループマネジメントポリシー」があります。長期ビジョンは、10年先を見据えた攻めの戦略です。併せて、攻めと守りを融合したオムロングループマネジメントポリシーを策定し、これらを密接に結びつけています。オムロンの社員は、こうしたフレームワークに基づいて日々の仕事を遂行し、全員で企業理念を実践する経営を実現しています。したがって、企業理念実践経営はインテグリティ(誠実性)とサステナブルグロース(持続的な稼ぐ力)を両立させることでもあります。

 

トップダウンとボトムアップの組み合わせ

企業理念は、名刺に刷ったり、額縁に入れて会議室に飾ったりしても浸透するものではありません。経営者が「企業理念を実践するために皆で頑張ろう」と声を大にしても、一方通行になってしまい社員の心に響きません。

 

そこでオムロンは、トップダウンとボトムアップを融合し、企業理念を組織全体に浸透させることを重視しました。

 

 

まず、経営層のトップが定期的に想いを込めたメッセージを発信します。

 

そして、会長が定期的にグローバル拠点を回り、社員と2時間程かけて「自分はこう考えて経営に取り組んでいます。皆さんはどのように考えて仕事をしていますか」と対話する「企業理念ダイアログ」を行っています。

 

また、「社長車座」では、社長が部長やグループリーダーを30人程集めて「私はこういう思いで経営し、皆さんにはこういうことを期待しています」「皆さんは社長に対して何を期待していますか」という対話を行います。その翌週には、部長やグループリーダーは自分たちの部下と同じ対話をします。各レイヤーのリーダーが自分の言葉で企業理念を語ることで、チームメンバーに共感や共鳴をもたすきっかけを作るのです。

 

さらに「エンゲージメント サーベイ」(別名、ボイス)では、2年に一度、社員が経営陣に対してどのような意見や提案を持っているかを、グローバルで吸い上げています。そこで「現場への権限移譲が少ない」という意見が多数を占めていたら、その意見を取り入れて現場への権限移譲を行い、「権限移譲を進めてマネジメントプロセスを見直しました」と全社員にフィードバックします。

 

大切なのは単なる社員の満足度調査にとどまらず、現場から上がってきた建設的な意見や具体的な提案をしっかりと経営に反映させ、社員にきちんと結果をフィードバックすることです。「経営陣はしっかり現場を見てくれている」「自分たちの意見が経営や事業運営に反映される」ということが分かれば、社員は主体性を持って能動的にエンゲージメント サーベイを活用し始めるようになります。

 

エンゲージメント サーベイは「5段階から選択してください」という設問の他に、自由記述で「普段思っていることを何でも良いので書いてください」という回答欄もあります。

 

このフリーコメントへの投稿が年々増え続けています。社長はすべてのコメントに目を通しますし、事業部門の責任者は、担当する部門の回答内容に目を通します。それをテーマに、執行役員が参加する会議で「どのように受け止めたか」「どこに課題があると考えたか」を部門を超えて横断的に議論し、課題を共有します。

 

すべては、社員一人一人に企業理念を自分事として捉えてもらいたいがための取り組みです。

 

同じことは長期ビジョンの策定にも当てはまります。長期ビジョンは「財務目標」と「非財務目標」によって構成しています。現在公表しているのは「2030年に向けた長期ビジョン」ですが、1st Stage非財務目標として、2024年度までの3年間で達成する10個の目標を策定しました。

 

 

上記のうち緑の文字の3つの目標(⑧~⑩)は、グローバル(全社)のアンケートで決めています。このように社員が目標設定を行うことは、極めてユニークです。

 

そして、欄外「+1」の「各リージョンのトップマネジメントが、オムロンのサステナビリティ方針に則り、地域社会に対するコミットメントを宣言し、実行を継続する」は、各エリア(例:日本、北米、欧州、中国、東南アジア)の代表に決めてもらいました。多くの社員に経営に対する参加意識を持ってもらうためです。

 

赤字の企業に存在意義はない

「企業理念実践経営」には、ある種の誤解がよく生じます。具体的には「企業理念を大切にする以上、利益が出なくても仕方がない」という日本企業特有の議論のすり替えです。最近は、ESGに関しても「ESGを最大の経営課題に据えているので、リターンは二の次で良い」という同様の考え方が散見されます。

 

企業理念に謳っているように、事業を通じて様々な社会課題を解決し続け、より良い社会を作るためには、自分たちの事業や商品・サービスをサステナブルに提供する必要があり、収益性やシェア、成長性のバランスは極めて重要です。

 

私がIRの担当役員に就任した2011年頃、若い社員から「オムロンは企業理念を大切にして経営しているので、利益は気にしなくても良いですね」と言われたことがありました。

 

私はこう答えました。 「企業理念を実践するために、素晴らしい事業や商品・サービスを世に送り出すには、製造業であれば製品を製造します。そのために研究開発や設備投資を行います。製品を売るための販売管理費や広告宣伝費も必要です」 「そして、オムロンは上場企業です。沢山のステークホルダーがいて、株主・投資家も重要なステークホルダーであり、株主にオムロンの株式を保有し続けて経営をサポートしてもらうには、配当などで還元しなければなりません」 「さらに素晴らしい事業や商品・サービスを考え、作ってくれた社員が世界中にいて、その努力に報いるには、給料やボーナスを引き上げる必要があります」 「つまり、オムロンが企業理念経営を実践するためは、様々な有形資産と無形資産投資の原資となる利益を持続的に出さなければならないのです」

 

オムロンの創業者である立石一真は、創業当初に「赤字の企業に存在意義はない」と言い切りました。そして今、資本生産性の向上を求められる上場企業にとって、黒字であるだけでなく、資本コストを上回るリターンを出せないのであれば存在価値がないということになります。

 

(=続く)

安藤 聡氏
元オムロン株式会社 取締役
1977年慶應義塾大学法学部卒業、東京銀行(現三菱UFJ銀行)入行、2007年三菱東京UFJ銀行退職。同年(2007年)オムロン入社、常勤監査役、2011年執行役員経営IR室長、2015年執行役員常務グローバルIR・コーポレートコミュニケーション本部長を経て、2017年6月取締役に就任した後、2023年6月退職。

<主な社外活動>
2014年経済産業省主催研究会「伊藤レポート」委員、2017年「伊藤レポート2.0」委員、「価値協創ガイダンス」策定ワーキンググループに参画。
2014~2017年国際統合報告評議会(IIRC)主催実務者協議会に参加。
2016~2019年GPIF主催「企業・アセットオーナーフォーラム」企業側代表幹事、2022~2023年内閣府主催「知財投資・活用戦略の有効な開示及びガバナンス検討会」委員を務める。
2016年一橋大学CFO教育研究センター客員研究員、2022年東京証券取引所主催「市場区分見直しに関するフォローアップ会議」メンバーに就任し、現在に至る。

 

 

※本コラムは2023年11月9日のインタビューをもとに作成しています。

掲載日:2024年3月7日

 

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