人的資本経営とは?企業価値を高める取組と開示 財務成果に効果を発揮する「従業員エンゲージメント」

 

財務成果とポジティブな関係にある人的資本とは?

第3回は、自社の人材がいかにハイパフォーマンスを生み出していくかに注目してみましょう。人的資本には労働慣行やコンプライアンスなどリスクマネジメントの観点と、中長期的な企業価値の向上に繋げる価値向上の観点があります。価値向上に繋がる育成やダイバーシティ(多様性)はすでに国際機関のESG開示基準や欧米の会計基準で共通して取り上げられており、手掛けている企業も多いでしょう。一方、スキルや経験、エンゲージメント(従業員の働く意欲)は一般的に開示基準に入っていませんでしたが、近年、ダイバーシティと共に学術的にみて財務成果の説明力が高いことが明らかになってきました。


「人的資本」に関して開示を求める指標

 

欧米の複数の調査は人材研修、人事施策の束(様々な人事施策の組み合わせ)、従業員エンゲージメントが財務成果(株・投資リターン、収益性等)とポジティブな関係にあることを明らかにしています。調査(※)の一つであるBernstein[2015]の調査対象となった92件の論文のうち、財務効果に対して「研修」(36件)は約6割、「人事施策の束」(56件)は約8割がポジティブな関係を示しました。


人事施策の束が研修よりも財務成果とポジティブな関係を多く示すのは、従業員エンゲージメントなどに間接的に働きかけ、最終的に生産性や顧客満足度、財・サービスの改善へと効果を発揮していくためです。


※ Aaron Bernstein & Larry Beeferman [2015] “The Materiality of Human Capital to Corporate Financial Performance”(ハーバード大学法科大学院)、Krekel,Ward,Neve [2019]“Employee Wellbeing, Productivity and Firm Performance”(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)等を参照


 

従業員エンゲージメント、企業文化、マネジャー 

米ギャラップ社が調査した「従業員エンゲージメントと組織的成果の関係」(対象は54業種、276組織、96ヵ国の約270万人の従業員)によれば、組織の成果は顧客ロイヤリティ/エンゲージメント、収益性、離職率、従業員のウェルビーイング(生き生きしている従業員)、品質等と、より高い数値(強い関係性)を示します。


出典:(ジム・クリフトン他『職場のウェルビーイングを高める』日本経済新聞社)


企業がたとえ優れた製品やマーケティング等で好調な販売を達成していたとしても十分ではなく、エンゲージした従業員の数を増やすことこそが、最も強力な成長の梃子になると考えられています。エンゲージした従業員は自分の仕事に誇りをもって組織に貢献している状態にあり、従業員エンゲージメントが高まれば顧客エンゲージメントが生まれ、売上増に繋がっていきます。これらが機能するために、組織は従業員一人一人がその強みを発揮できるように注力する必要があり、そのためには能力開発と成長を大切にする優れたコーチ(マネジャー)が肝要となります。


出典:(ジム・クリフトン他『ザ・マネジャー』日本経済新聞社より)


英国の雇用調査機関であるIESの調査も、従業員コミットメントは売上に直接効果を及ぼすだけでなく、顧客満足度や従業員の勤務状況の改善(欠員の減少など)を通じて売上の改善につながるとしています。ここでも、ライン・マネジメント(現場の意思決定権限を持つ管理職による組織運営)を通じて企業文化が浸透することで、従業員コミットメントが高まる関係性が示されています。


サービス・プロフィット・チェーン(英国IES)

 

 

具体的な企業の取り組み例を見てみましょう。コカ・コーラは世界で7万9,000人の従業員を擁し、従業員エンゲージメントを3つの人材管理KPI(Key Performance Indicator=「重要業績評価指標」)の一つに設定しています。企業文化を構成する調査項目のうち、従業員の賛同率が低い項目の改善を目的に、毎年新たな優先事項を策定しています。例えば、2021年の調査で「リーダーシップへの信頼」が低水準だったため、翌22年は「私たちの文化を再定義し、リーダーシップモデルを更新することにより、包摂的でパーパス主導の文化を推進する」を優先事項に挙げました。調査を活用して優先事項を見直すことで従業員エンゲージメントを高め、堅調な販売に繋げています。


 

 

「研修」が生み出す2つの効果

研修は、従業員のスキルを高め、企業戦略の実行力を高める手段です。企業が目指す事業戦略に沿ったスキルを有する人材をいかに育成していくかが求められています。また、世界の需要動向が変化し先が見えにくい時代において、いかに時代に合ったスキルを獲得していけるかが注視されるでしょう。


世界経済フォーラム(WEF)は2020年10月に発表した「The Future of the Job Report 2020」において、新型コロナウイルスの感染拡大により予想以上に労働市場は急速に変化し、「働き方の未来」が既に到来したと報告。世界の主要企業の経営者は、仕事上のデジタル化やITスキルのトレーニングなどに加え、リスキル・プログラム(re-skill=業務上必要なスキルの学び直しプログラム)の提供も必要だと指摘されました。


KPMGジャパン「CFOサーベイ2020」では、アフターコロナに実行したい人事労務領域の取り組みの筆頭に「人材の教育・育成(56%)」が挙げられ、人材・IT関連技術も幅広く考慮されています。


アフターコロナに実行したい人事労務領域の取組(複数選択)2020年

 

 

研修は従業員エンゲージメントの向上にも有効な手段です。従業員エンゲージメントと密接に関係する「ハイパフォーマンス職場・組織(HPWPs)」は、高次の信頼とコミュニケーションに基づいてチーム内でより自律的に働き、よりフラットで、よりヒエラルキーが顕著でない構造に向かう組織とされており(OECDの定義)※、これに貢献する慣行がハイパフォーマンス雇用慣行です。マネジャーや同僚との関係、組織への信頼、昇進、ワークライフバランス、仕事の満足感、賃金・報酬等によって高めることができるとされています。


※国際経済全般について協議することを目的とした経済協力開発機構


前出の英IESは従業員エンゲージメントと最も強い関係を有する態度・経験は、「自分は価値がある/一員であると感じる」ことであることを明らかにしました。さらに、これを高める最も効果的な経験が「研修・開発・キャリア」(相関係数は0.689)であり、「直属のマネジメント」(同0.636)、「パフォーマンス・評価」(同0.616)と続いています。


実際のところ、財務成果を向上させ得るもっともらしい人事施策は多数あるため、直接的な効果が分かりにくく人事施策の束はブラックボックスだと考えられています。そうした中でも人事施策と企業成果の関係を説明するにあたって、ある程度コンセンサスが取れている仲介要因が、以下の3類型です。


 

独自の人材戦略をとっている企業として、ソニーを見てみましょう。同社はサステナビリティのマテリアリティ(重要課題)を見直し、最重要マテリアリティを「気候変動」「ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン(DE&I)」「人権の尊重」「サステナビリティに貢献する技術」に特定。人材理念を「Special You, Diverse Sony」とし、個性豊かな社員一人ひとりの成長の連鎖によって、その挑戦を最大限に発揮する場所である会社がさらなる成長を実現することを目指しています。


従業員エンゲージメントで、『「ソニーらしい企業文化の醸成」等を目的とした、魅力的なワークプレイスの創造に取り組むことで社員のエンゲージメントの向上に繋げています。』と取り上げている点に、独自の人材戦略の取り組みが垣間見えます。


 

人的資本経営で重要な3つ目のアクションは、「従業員が自分の仕事に誇りをもち、組織への貢献を感じて働けるような人事施策や職場環境をいかに作り出していけるか」となるでしょう。その際、自社の人事施策の束が統合的にどのように効果を発揮し、企業戦略に活きてくるかがわかると、その企業ならではの人的資本経営が見えてくるでしょう。

山田雪乃⽒
大和証券チーフESGストラテジスト。 大和総研入社後、大和CMシンガポールを経て、2013年より大和証券。 シニアストラテジストとして、アジア新興国・豪州の株式・為替市場やコモディティ市場を担当後、2019年よりESG担当。海外企業調査の経験を活かし、ESG優良企業を事例にあげ、日本の企業価値向上をもたらすESG分析を提供。近年は「社会(S)」の分析に注力している。国際大学大学院修士(国際開発学)。 機関投資家が選ぶアナリストランキングInstitutional Investor2022にて「ESGリサーチ部門」3位。日経CNBC、ラジオ日経などメディア出演も多数。 YouTube大和証券グループ公式チャネル「注目!世界を変える『SDGs/ESG投資』」にて、毎月最終水曜日に、注目のESGトピックを動画配信している。

 

 

掲載日:2022年11月9日

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