サステナビリティ情報の開示が、2023年3月31日以後に終了する事業年度から届け出される有価証券報告書及び有価証券届出書(以下、有価証券報告書等)の記載事項の変更として義務化されます。このコラムを読まれている皆様は既に始まっているということです。
しかし、記載事項の内容についてはまだ十分に理解が深まっていないようにも思われます。また、要請されている事項について形式的な対応に留まってしまえば、企業と投資家との間の建設的な対話に本当に資するかどうか、少々危ういようにもみえます。義務化の内容を概観しつつ、開示情報を本質的にもう少し考えてみることにいたしましょう。
サステナビリティ情報の開示義務化
サステナビリティ情報の開示義務化は、具体的には以下の通りです。有価証券報告書等の記載事項の変更として、これらを提出している企業は全て対象となり、2023年3月31日以後に終了する事業年度から適用されます。
開示の内容は大別して3点です。第一に「サステナビリティ全般に関する開示」、第二に「人的資本、多様性に関する開示」、第三に「コーポレートガバナンスに関する開示」という構成になっています。記載の枠組みとしては、「ガバナンス」「リスク管理」「戦略」「指標及び目標」という4つの要素が土台となります。いわずと知れた、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の提言において用いられ 、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)の公開草案でも採用されたサステナビリティ開示の枠組みです(図 1)。
図 1 サステナビリティに関する情報開示の枠組み
もともと、TCFDの開示方針は、細則にとらわれボックスティッキング(形式的な確認作業)的になることを避けるために、将来に関する骨太なストーリーを語ることに重点を置くことを試行しているように思えます。経営戦略的な視点から見れば、「まずは戦略ありき」ということですね。将来に向けて「会社の目指す姿」を明確に指し示し、経済的な企業価値の向上と社会的な存在価値の実現を統合したうえで、持続可能な成長をどう描くのかということがまずは最大関心事です。ただ、こうした「骨太なストーリー」にはアップサイドもダウンサイドもあります。アップサイドは基本的には喜ばしいことなのですが、一方でダウンサイドが具現化してしまうと投資家をはじめとするステークホルダーとしては何かと困ります。従って、ダウンサイドに振れるリスクは的確に把握したいですし、そのために企業側での対応は強く求めたい、というのが本音です。これが「リスク管理」を求める由縁でもあります。また、骨太なストーリーがダウンサイドに落ちるかどうか判断するには何か具体的な指標がなければ判断できません。あるいは、骨太なストーリーが順調に実現した場合にはどのような姿になるのか、これにも目標値が必要です。ゆえに定量的に状況を示すことができる「指標と目標」も大事になってきます。そして最後に、いくら骨太のストーリーを作り、指標と目標を定めてリスク管理を行っていると経営陣が言い張ったとしても、実際にそうであるかどうかチェックする役目が必要となります。これが「ガバナンス」ということですね。こうした枠組みで考えていこうということで世界的にも動いているので、国際的な比較可能性を高めるためにはこの枠組みで語るようにするのが良いと当局も考えたようです。
従って、これらの4要素は本来別々に扱って良いものではなく、「四身一体」なものであるとも言えます。今回の「サステナビリティ全般に関する開示」において義務化されているのは、実は「リスク」と「ガバナンス」のみですが、こうした要素をピックアップされると、企業の側の対応はその要素だけにフォーカスした個別最適な対応になりがちです。しかし、求められているのは全体最適です。分断するほど将来像は分からなくなってきます。スタートポイントとして置いた経営戦略というものは、分析(Analysis)ではなく、統合(Synthesis)にその真骨頂があります。今回の法定開示の枠組みは、投資家と企業経営者双方の、統合(Synthesis)力を試すものになるかもしれません。そうした認識をもって、サステナビリティ情報の開示の義務化を考えて頂くと、中長期的には大きな果実が得られるのではないでしょうか。
人的資本、多様性に関する開示
人的資本、多様性に関する開示については、人材の多様性の確保を含む人材育成の方針や社内環境整備の方針及び当該方針に関する指標の内容等について、サステナビリティ情報の「記載欄」の「戦略」と「指標及び目標」において記載が必須となります。それとともに、「従業員の状況」における記載項目として「女性管理職比率」、「男性の育児休業取得率」及び「男女間賃金格差」といった定量指標の開示が必要となります 。
企業側が頭を痛めているのは「男女間賃金格差」でしょう。女性に非正規社員が圧倒的に多かったり、男性ばかりが役職者に昇進したりしている企業では当然ながら格差は大きくなり、その状況も明らかになります。過渡期の現象として「女性労働者の新規採用を強化する等の女性活躍推進の取組により、相対的に男女の賃金の差異が拡大する」などはあるでしょうが、中長期的に見れば徐々に説得力を失っていくのは明らかです。「女性管理職比率」や「男性の育児休業取得率」にしても、あまりの数字の低さや実態の伴わなさが知れ渡っている状況にあります。女性管理職比率などは、開示を要請する政府自体が、「2020年には指導的地位に占める女性の割合は30%程度」といった目標を早々にとりやめ「30年までの可能な限り早期」などと言う状況です。民間企業でも女性管理職比率の現状や目標についての開示が進みつつありますが、目標レベルで一桁台といった企業も多くあります。男女雇用機会均等法から既に40年近くも立っているのですけれどね。
話題になった「男性の育児休業取得率」も、昨年過去最高を更新したと言いながら、実は現状の取得率はたったの13.97%です。政府が掲げる「2025年度までには30%」という目標には遠いようにみえます。加えて、数値だけを見て判断すると実態を見失います。なぜならば、たった1日でも「取得」としてカウントされてしまいかねないからです。これを育児休業と呼べるのかという点は大いに疑問が残りますね。もちろん、真剣に取り組んで男性に長期の休業を喜んで与えている企業もあります。しかし、同じ範疇で括られてしまったら、少々異論を覚えるのは道理ではないでしょうか。定量指標の開示は重要ですが、それだけを見ていると、背後にある現実を見失いがちであるということでもあります。同じことは、女性管理職比率や、エンゲージメント指数などにも言えます。人的資本や多様性については、企業の真意を探るうえでの分析(Analysis)力が大いに試される分野なのかもしれません。投資家には、大いに建設的かつ定性的な対話を促進して頂きたいところです。
コーポレートガバナンスに関する開示
第三の点であるコーポレートガバナンスについては、ここ数年様々な開示が求められるようになってきていますが、今回は、取締役会や指名委員会・報酬委員会等の活動状況(開催頻度、具体的な検討内容、出席状況)、内部監査の実効性(デュアルレポーティングの有無等※)及び政策保有株式の発行会社との業務提携等の概要の記載が必須となっています。特に、指名委員会の活動状況については投資家の関心も高いところでしょう。形式的な活動しかしていなければ批判もより強まるのは間違いないところですが、一方でそうした企業もまだ多いところです。本来は、真剣に後継者計画やマネジメント・トレーニング、社外取締役も含めた役員の評価と選解任などを議論し始めたら、取締役会より指名委員会の方がはるかに時間と労力を要します。現在多数を占めるような、「四半期に一度、15分程度開催しています」という状況では、形式的と言われてしまっても仕方がないでしょう。この先、コーポレートガバナンスのメインテーマは、指名委員会のありかたに移っていく可能性が高いと思われます。今までのようにお茶を濁してはいられないでしょう。
こうした開示の枠組みはまだ確定ではありません。金融庁も国内外の動きと合わせて今後の改訂を既に明言しています。開示の要請は強まりこそすれ、後退することはまず無いと思われます。とはいえ、企業においても、投資家側においても、少し間違えばすぐに、開示内容がボックスティッキングの材料として扱われ、現実とは乖離した評価につながる危険を多く抱えています。過去の定量的な数値のみに頼るのではなく、将来への取り組みなど定性的な分野も含め、十分な分析(Analysis)を基にした、質の高い統合(Synthesis)をぜひ考えてほしいと思います。
(※)内部監査部門が、代表取締役だけでなく取締役会及び監査役会に対しても適切に直接報告を行う仕組みのこと
東京都立大学大学院 経営学研究科教授
東京外国語大学外国語学部卒、仏国立ポンゼ・ショセ国際経営大学院経営学修士、筑波大学大学院企業科学専攻博士課程修了。博士(経営学) 株式会社日本長期信用銀行にて国際審査、海外営業等を担当後、ムーディーズジャパン株式会社格付けアナリストを経て、株式会社コーポレイトディレクション、ブーズ・アレン・アンド・ハミルトン株式会社でパートナーを務める。企業経営と資本市場にかかわる実務、研究及び教育に注力している。 キリンホールディングス株式会社社外取締役、株式会社IHI社外取締役、キユーピー株式会社アドバイザリーボード委員他、事業会社の社外取締役、公的機関の経営委員等を務める。