Vol.3 大きな志と小さな志の融合と調和
~渋沢由来の金融の街に生まれた金融とアートの出会い~

 

 

当コラムは渋沢栄一の士魂商才の理念に触れつつ、具体的事例を紹介しながら、先の見えない時代をどう進むべきかについて考察します。

第1回は、時代や世紀を超えて士魂商才の理念が息づく企業に着目し、第2回は「人は東西や職業を問わず、武士道で世に立っていかなくてはならない」という渋沢の理念を体現する人物として、ハリウッドスターのトム・クルーズを取り上げました。

第3回は渋沢が『論語と算盤』で説いた「大きな志と小さな志の融合と調和」を目指す街づくりにスポットを当て、国際金融都市の実現を掲げる日本橋兜町・茅場町の進化について解説します。

 

大きな志と小さな志は常に調和し、一致しなければならない

渋沢が大切にした士魂は、日本人の魂の根底に流れる武士道に基づいています。その武士道を貫く上で渋沢が基点として掲げたのが立志のあり方です。

 

欧米諸国の商工業の発達を目の当たりにしたことがきっかけの自身の立志について、渋沢は「現状をそのまま維持するだけでは、日本はいつまでたっても彼ら(欧米諸国)と肩を並べられない。だからこそ、国家のために商工業の発達を図りたいという考えが起こって、ここで初めて実業界の人になろうと決心がついたのである。そしてこのとき立てた志で、わたしは今に至る四十年あまりも一貫して変わらずにきたのである。真の立志はまさにこの時であった」(『論語と算盤』)と語っています。何事も、根幹に据える大きな志が大切であることを説いているのです。

 

大きな志が立ったならば、その枝葉となるべき小さな志について、日々工夫することが必要であるといいます。「小さな志の方は、その性質からいって、つねに移り変わっていく。だからこの移り変わりによって、大きな志の方に動揺を与えないようにするための準備が必要である。つまり、大きな志と小さな志で矛盾するようなことがあってはならないのだ。この両者は、常に調和し、一致しなければならない」(同)。渋沢はすべてにおいて大きな志と小さな志の調和と一致を目指していました。

 

 

      

「海外にも誇れる国家」建設を志し、日本初の銀行や株式取引所創設

1867年、一橋(徳川)慶喜の弟で将軍名代の徳川昭武に随行して欧州を視察した際、渋沢は商工業の発達と資本主義経済の実態に触れ、その繁栄ぶりに驚愕したといいます。その根幹に金融事業があることを知り、日本にも金融の仕組みが必要であるという考えに至りました。実業界の人になろうという志を立てたのです。

 

足掛かりとして73年、兜町に日本初の銀行となる第一国立銀行(現みずほ銀行)を創設します。同地を、金融を軸とした新たな時代の商業中心地とする狙いがありました。2年後の75年には同行の頭取となり、さらに「日本の産業界を発展させるためには、株式を発行して取引所で広く資本を募り、事業規模を大きくすることが欠かせない」との考えから、株式を売買する取引所の設立に尽力し始めます。大隈重信大蔵大臣から免許を得て78年、東京株式取引所を誕生させました。 88年には、後に東京駅や日本銀行本店の設計で名を馳せる建築家、辰野金吾の設計になる私邸を兜町に建てます。公私ともに兜町を拠点として数多くの会社を設立し、日本の企業社会の礎を築き上げていきます。

 

兜町を基点に「海外にも誇れる国家を築く」という大志の下、自らが中心となって未来を見据えた約500社の企業や団体、社会事業の設立・運営に力を注ぎます。それぞれの業界や分野において企業一社の始まりは小さいながらも、必ずや国家の繁栄につながるという志や経営理念を貫き続けたのです。今でも兜町が「証券・金融の街」「事始めの街」と称されるのは、渋沢のこうした立志と理念が息づいているからでもあります。

 

 

      

渋沢の立志息づく日本橋兜町・茅場町が目指す国際金融都市

現在、兜町・茅場町エリアは東京都と金融庁が推進する国際金融都市構想の中核をなし、世界に誇れる国際金融都市を目指すという大きな志のもとに進化を始めています。発端は 東京都が2017年11月に公表した国際金融都市構想にかかる政策です。その一環で、才能ある資産運用者の独立や成長の促進と高度金融人材の育成を支援するための施策として新興資産運用業者育成プログラム「Emerging Managers Program(EMP)プロジェクト」が立ち上がりました。既にFinTechの分野で先端を走るスタートアップ企業が次々に集って来ています。

 

同プログラムでは、世界に通用する一流の才能を持つ次世代の若手ジャズミュージシャンを世に出す取り組み「JAZZ EMP(Emerging Musicians Program)」も2018年にスタートしています。海外の国際金融都市同様、金融と音楽が融合した街として活気づくことを目指し、「まずはパフォーミングアートから始めよう!」という志のもとに始まったものです。2つのEMPの展開で金融の力とアートの力が融合し、街自体がよりパワーアップすることを狙っています。

 

金融とアートが織り成す新感覚の街づくりがスタートすると、食の分野も賑わいを見せます。2020年に誕生した都市型ホテルなどが入る複合施設「K5」の周辺には海外でも人気のレストランなどがオープンし、食文化でも徐々に変化が起こっています。国際金融都市を目指すという大志のもと、様々な分野で目標を定めたプロジェクトを成功させたいという志が生まれ、始まりは小さくとも一歩一歩前進し、大きな志の実現に向けて歩み続けています。兜町・茅場町はニューヨークやロンドンのように、金融街とアートエリアが融合した都市として、渋沢が目指し続けた海外にも誇れる国際金融都市に着々と近づいています。

 

日本初の銀行、第一国立銀行(現みずほ銀行)の外観をそのままに内部をフルリノベーションして誕生した複合施設「K5」。名称は改修前の兜町第5平和ビルに由来(写真提供はK5)

 

K5の1階にあるレストラン「CAVEMAN」(同上)

 

K5の前身、兜町第5平和ビル(同上)

 

 

      

日本経済の基点に誕生する「KABUTO ONE」と兜町の未来

兜町・茅場町には今夏、オフィスやレストランなどの複合施設「KABUTO ONE」がオープンします。KABUTO ONEという名称には「これまでも、これからも、兜町が日本経済において不変の始まりの地=基点であり続ける」という想いが託されています。兜町を基点とする国際化を常に意識していた渋沢は、英語が堪能な部下に和訳させながら日々、海外の新聞の内容を確認していたそうです。

 

KABUTO ONEには、本年10月に創立50周年を迎える情報ベンダーの株式会社QUICKが新たに本社を構えます。世界の株式や債券(金利)、為替をはじめ、コモディティ、デリバティブ、企業情報など金融・資本市場に関わる様々なデータやニュースを集め、価値ある情報として提供する同社は国際金融都市を象徴する存在ともいえます。渋沢が目指した海外に誇れる国家、国際化する街の実現に向け、様々な企業や団体、人々が一丸となって取り組むプロジェクト、その舞台である兜町・茅場町にぜひ、ご期待ください。

 

国家戦略特区日本橋兜町に建設中のKABUTO ONE。QUICKも拠点を構え直し「国際金融都市・東京」構想の実現に向けた取り組みを加速する。(撮影日:2021年7月6日)

 

 

鈴木 ともみ氏

経済キャスター、国士館大学政経学部兼任講師、早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員、Jazz EMPアンバサダー、総合芸術舞台『一粒萬倍 A SEED』アンバサダー、日本記者クラブ会員記者、FP、パーソナルカラリスト。

埼玉大学大学院人文社会科学研究科経済経営専攻博士前期課程を修了し、経済学修士を取得。

地上波初の株式市況中継TV番組「東京マーケットワイド」や「Tokyo Financial Street」(STOCKVOICE TV)にてキャスターを務める他、TOKYO-FM、ラジオNIKKEI等、ラジオ番組にも出演。

国内外の政治家、企業経営者、ハリウッドスター等へのインタビュー多数。主な著書『資産寿命を延ばす逆算力』(シャスタインターナショナル刊)、『デフレ脳からインフレ脳へ』(集英社刊)。

 

 

 

掲載日:2021年7月7日

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